エッセイ

怪物の嫉妬について

わたし

 鼻からの管を通した食事を卒業し、お粥が食べられるようになると、こんな美味しい食べ物が世の中にあったのかなんて感動すら覚えていたのに、慣れてしまうと、こんな水浸しの米ばかり食えるかと思ってしまいます。私はつくづく現金な人間です。

 ともあれ、とろみのついた食事に飽きてしまった私は、クリームコロッケが無性に食べたくなり、パートナーとデパ地下へ。ハンバーグに唐揚げ、エビフライ、どれもこれも美味しそうな、見ているだけで幸せな気分になる惣菜コーナーは、私のように「食べられないこと」を経験した者にとって、まさに心のオアシスなのです。

 お目当てのコロッケ屋さんに並んでいると、小学校に入る前くらいの女の子がじっと私を見ています。黒革の眼帯をするようになってから子供たちの素直な反応は面白く、そのまっすぐな瞳の多くに、驚きとちょっとした尊敬が含まれています。子供たちの価値判断の関わる漫画やアニメで描かれている異形のキャラクターがどのような描かれ方をしているのか、なぜポジティブな感情で私を受け入れてくれるのか、今後検証する価値があるかもしれませんが、おおむね好意的に捉えてくれているようです。

 その少女は、私を指さしながら、母親に大きな声で言いました。

 「ママ! 怪物がいるよ!」

 コロッケ選びに必死なママはノーリアクション。並んでいる大人たちが私を見て不自然にうつむくという面白い状況です。確かに顔や首の生々しい縫合痕は、フランケンシュタインに近いものがあり、怪物といった表現がピッタリです。ただ、悪さをするような怖い怪物でないことは少女の表情で分かります。やはり、尊敬と好奇が入り交じった眼差しがまっすぐ私を見上げています。

 母親に手をひかれながら歩き出したその少女は、私が見えなくなるまで熱い視線を送っていました。

 ところで、そんな怪物のような容姿になっても変わらず慕ってくれるのが、2羽の小鳥たちです。

 仕事をしていると肩や手にとまり羽繕いをしています。当然所構わず糞をしますが、それも可愛いものです。「ここにうんこしたららめですよー」なんて優しく言いながら可愛い糞を掃除します。

 そんな可愛いくてたまらない小鳥たちですが、パートナーが帰ってくると、一目散に飛んでいきます。キュウキュウと可愛いらしい鳴き声で手に包まれ、頬ずりさえ許しています。そんな時のパートナーの私を見る、勝ち誇った上から目線の、そのうえ薄ら笑いを浮かべたなんとも憎たらしい表情!

 どんなに私を支えてくれている大切なパートナーでもこれだけは我慢なりません。小鳥の愛を奪われ、追い詰められた私を見て、薄ら笑いを浮かべているのです!

 当然私の機嫌は悪くなり、無口になったり、ぶっきらぼうな物言いになったりします。そんな私に、薄ら笑いをこらえながらパートナーは言います。

 「男の嫉妬は見苦しい。ふふふ」

 逃げられない王手をかけられた時の悔しさが濃縮した惨めな敗北感。

 あー、悔しい悔しい! 憎たらしい!

 一言言い返したいのに、あまりの悔しさに正常に頭が働きません。この「嫉妬心」ほどやっかいなものはないでしょう。歴史の教科書は、嫉妬心で判断を誤った人のことで埋め尽くされています。分かっているのに一時の感情に巻き込まれてしまう人間のなんと弱いこと。

 少女の尊敬に値する偉大な怪物への道のりはまだ遙かに遠いと言えます。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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