がん治療を続けていると、患者さんやその家族にとって大きな転機となる「治療方針の説明」というイベントがあります。内容によっては、家族で打ちひしがれることもあれば、明るい希望を持つこともある――そんなドラマチックな場面です。
比較的軽い内容の場合は、診察室で軽めに行われることもありますが、何人もの専門家が執刀に立ち会うような手術のときは、ホワイトボードが置かれた部屋に、担当科の教授や麻酔科のドクターなどが集まり、少々重々しい雰囲気のなかでこのイベントが「開催」されます。
ここからが、私の話。
緩和治療に入る前、とりあえずやってみようかという感じで始めた抗がん剤と放射線治療が功を奏し、上顎洞に残った腫瘍を手術で取り除こうということになりました。イベントとしては、どちらかというと重々しい後者のケースです。
手術の説明が行われる際には、手術中に急変し命の判断を迫られるような場面に備え、近親者の同席が求められます。そこで登場するのが、ブログのタイトルにもなっている「優しい人」――一緒に暮らしている私のパートナーです。
顔の手術は、人相が変わります。人との会話や食事といった日常生活にも大きな影響を与える可能性があるため、ドクターは丁寧に説明を行います。
「腫瘍がけっこう大きくなっていたので、余白を取って眼球から上顎までの顔半分を切り取ることも考えられます。なくなった部分には、お腹の肉をはめこみます」
その説明に、パートナーの顔からは血の気が引いていきました。
「ちょっとイメージできないのですが、その手術をしたとして、どんな顔になるんですか?」
そこで登場するのが、ホワイトボードです。
――なぜこのとき、写真を撮らなかったのか。今でも悔やまれるのですが、妙に絵心のある主治医が、蛭子能収さんの『私はバカになりたい』の表紙に描かれた男性そっくりの顔をさらさらと描き、そして何のためらいもなく、その顔の半分を消したのです(「じゃあ、はなから描くな」とツッコミたくなる気持ちをこらえつつ)。
さらに消した部分に、ふくよかな輪郭を描き込みながら、
「こういう、のっぺらぼうみたいな顔になります」
と説明したのです。
どこか遠くを見つめる“顔の半分がのっぺらぼう”のイラストがそこに登場し、その部屋にいた全員が、その“うまへた”な絵を無言で見つめる――とてもシュールな光景でした。
ともあれ私は、「まあ、そういうことになるんだろうな」と比較的冷静に受け止めていたのですが、パートナーはきっと辛いだろうなと思い、彼女の顔を見ることができませんでした。
そのときです。
「ぶふっ」
あの、コメディードラマなどでよくある、「笑いをこらえきれなくなったときに人が吹き出す」あの滑稽な音が、部屋に響いたのです。
パートナーが、笑いをこらえきれずに吹き出した音でした。
振り向くと、これ以上ないくらいの笑顔で、あのイラストに嬉々として見入っていたのです。
しばらくの沈黙のあと、手術までにやっておくべきことの説明がさらっと行われ、なんとなく「ま、そういうことで……」という雰囲気で説明は終わりました。
概して私のパートナーは、このようにどしっと構えているところがあり、実はこれまで何度も、そんな彼女に助けられてきました。
放射線で気道に炎症が起き、声がかすれて出なくなったときは、もんたよしのりの「ダンシング・オールナイト」を歌わされたり、白く濁って失明した片方の目を見て「『JUNK HEAD』の主人公に似てる」と感心されたり……とにかく、窮地に強い偉大な女性なのです。
だから私は彼女のことを、とても強く、とても優しい人だと思っています。
彼女がいなければ、私は今ここで、こうしてブログなど書けていなかったと思います。本当に感謝しています。
そんな「優しい人」と、オナラをめぐってつい先日大げんかした話は――また今度。