山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクター・ライターとして30年以上活動。 2019年、希少がん「上顎洞がん」で余命6か月を宣告される。抗がん剤、放射線、14時間におよぶ手術を経て右目を失ったが、「どうせなら楽しんでしまおう」と開き直り、ブログとYouTubeで発信をつづけている。現在は動画制作コンサルおよびビジネスコンテンツライターとして活動しながら、がん患者の「仕事と治療の両立」や前向きな生き方を届けることをライフワークにしている。片目になってからLeicaを手に取り、光と影の中に生きる力を探す写真家として、もうひとつの表現を歩み始めた。失ってはじめて、世界の"本当の表情"が見えてきた気がしている。病気になっても、失っても、人生は終わらない――その希望を、誰かに届けたい。

エッセイ

二十個の結び目

2026/8/24  

二十個の結び目 朝、目が覚めて、まだ布団の中にいるあいだに、僕は同じ言葉を繰り返している。 私は毎日、あらゆる面で、ますます良くなっている。 声には出さない。口の中で、二十回。 こうして文字にしてみる ...

エッセイ

笑い声が聞こえる写真

2026/8/14  

笑い声が聞こえる写真 一本の映画を、フランスから取り寄せた。 福岡の写真家、井上孝治さんを追ったドキュメンタリーである。撮ったのはブリジット・ルメーヌさんという、フランスの社会学者で、哲学者で、映画監 ...

エッセイ

第4章 液状化した地面と、雨に濡れた草

2026/8/7  

シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。考えてみると、それは薬でも手術で ...

jellyfish

エッセイ

第3章 夜の編集室と、打つ手が尽きた場所

2026/7/31  

シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。考えてみると、それは薬でも手術で ...

エッセイ

第2章 遠くの山と、立ち現れる世界

2026/7/24  

シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。 なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。 考えてみると、それは薬でも手 ...

モノクロの駅構内。行き交う人々が長時間露光でぶれて透けるように流れる中、スーツ姿の男性がひとり壁にもたれ、動かずに佇んでいる。

エッセイ

第1章 教室の窓と、イデア

2026/7/17  

シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。 なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。 考えてみると、それは薬でも手 ...

モノクロの街角。強い陽射しの中を、白い日傘を差し、リュックと肩掛けの荷物を持った人が、足元に濃い影を落として歩いている。背景は波板シャッターとコンクリートの壁。路面に「自転車放置禁止区域/熊本市」の標示。

エッセイ

序章 なぜ、いま僕はこれを書くのか

2026/7/13  

宣告された半年は、とうに過ぎた。 余命を告げられたとき、医者の言葉は妙にはっきりと耳に届いた。それなのに、あの日からの時間だけが、うまく数えられない。気づけば僕はまだここにいて、朝が来れば仕事をし、夜 ...

エッセイ

藁をもすがる首に、奇跡が起きた日

2026/6/29  

首が、動かない。 正確には動く。でも、動かそうとすると痛みが走る。油断すると、ぎゅっとつってしまう。 リンパ郭清という手術を受けた人間には、よくある話らしい。首のリンパ節を取り除くとき、周囲の筋肉や神 ...

エッセイ

鉄骨の幾何学と、それぞれの物語

2026/1/11  

駅のホームというのは、不思議な場所だ。 そこは単なる通過点にすぎないのだけれど、電車が来るまでの数分間、僕たちは「待つ」という行為を共有する同志になる。言葉を交わすわけでもなく、互いに干渉することもな ...

バスの中

エッセイ

スポンジボブと左足の付け根と、愛する人の笑顔

2025/7/13  

「目が覚めると、僕は虫になっていた。」 カフカの『変身』の冒頭のようだけれど、僕の場合はもう少し現実的で、目覚めたら動けなくなっていたという、最近のお話だ。 少しでも動こうとすると左足の付け根に激痛が ...