ライターでがんサバイバーのゆるい日々のゆるい記録。
2026/10/30
「眼帯、かっこいいですね」 街を歩いていると、そう声をかけられる。 いつでも、どこでも。とくにお店の人に言われることが多い。 このあいだは、熊本城の二の丸公園で、散歩中の男性に言われた。 五十を過ぎて、こんなふうに声をかけられることは、なかなかないことだと思う。だから僕は、そのたびに本当に素直に喜んでしまう。 「ありがとうございました」 五十過ぎの男が、店先で、眼帯をほめられてにこにこしている。 ちょうどハロウィンの季節である。アニメや映画の推しキャラの格好を、たくさんの人が思い思いに楽しんでいる。 僕の ...
2026/10/17
中学生の頃、僕の家は、安心できる場所ではありませんでした。 父と母が仲たがいを始めたのです。父は一生懸命働いて、蓄えてくれた人です。亡くなった今も、残してくれたものにすごく感謝しています。僕の目には、母は父の悪口しか言えない人でした。それは今も変わりません。 喧嘩が絶えず、罵声が飛び交っていました。 僕は壁を殴りつけていました。すごく大きな穴が開いたのですが、次の日になると、そこには見えないようにカバーがしてありました。カレンダーがかけてあったりしました。 それは体面を気にする母のしたことで、僕はとても忌 ...
2026/8/14
笑い声が聞こえる写真 一本の映画を、フランスから取り寄せた。 福岡の写真家、井上孝治さんを追ったドキュメンタリーである。撮ったのはブリジット・ルメーヌさんという、フランスの社会学者で、哲学者で、映画監督でもある人だ。 日本では配信されていない。監督に直接メールを書いた。DVDはあるが、フランスの規格のもので、日本では再生できないという。それならデジタルで、という話になって、四十ユーロをPayPalで払い、動画のリンクが届いた。 そうやって、僕は自分の部屋で、二十数年前にフランス人が撮った、福岡の写真家の映 ...
2026/8/7
シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。 第4章 液 ...
2026/7/31
シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。 第3章 夜 ...
2026/7/24
シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。 なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。 考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。 だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。 歩き ...
2026/7/17
シリーズ序文 宣告された半年は、とうに過ぎた。 なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。 考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。 だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。 高校 ...