エッセイ

鉄骨の幾何学と、それぞれの物語

駅のホームというのは、不思議な場所だ。

そこは単なる通過点にすぎないのだけれど、電車が来るまでの数分間、僕たちは「待つ」という行為を共有する同志になる。言葉を交わすわけでもなく、互いに干渉することもない。けれど、同じ空間で、同じ方向への風を待っている。

今日の一枚は、そんな駅でのひとコマ。

無機質で頑丈な鉄骨が描くバツ(×)の字の幾何学模様。 その前で、等間隔に並ぶ人たち。

ある人は本(あるいはスマホ)の世界に没頭し、ある人は遠くを見つめ、ある人はただ静かに立っている。

ファインダーを覗きながら僕は思う。 この鉄骨の「硬さ」があるからこそ、人の「柔らかさ」や「頼りなさ」、そしてその奥にある「温かみ」が際立つのではないか、と。

中央の男性の、少し猫背になった背中。 右側の女性の、ふっと力が抜けた立ち姿。

それぞれが、それぞれの人生という荷物を抱えて、それぞれの目的地へと向かっている。 今はただ、その途中の束の間の休息。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは「決定的瞬間」と言ったけれど、何かが激しく動く瞬間だけがドラマではない。 誰も動かず、ただ静かに時間が流れている。その静寂の均衡がとれた瞬間もまた、愛おしい「決定的瞬間」なのだと思う。

彼らが電車に乗り込み、去っていけば、この構図は崩れ去る。 二度と同じ配置で、同じ人々がここに立つことはない。 そう思うと、なんでもない日常の風景が、急に奇跡のように思えてくるから不思議だ。

今日も世界は、幾何学的な冷たさと、人間的な温かさの間でバランスを取りながら回っている。

さあ、僕も次の電車に乗ろう。 カメラをバッグにしまって、また新しい景色に出会うために。

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山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクター・ライターとして30年以上活動。 2019年、希少がん「上顎洞がん」で余命6か月を宣告される。抗がん剤、放射線、14時間におよぶ手術を経て右目を失ったが、「どうせなら楽しんでしまおう」と開き直り、ブログとYouTubeで発信をつづけている。 現在は動画制作コンサルおよびビジネスコンテンツライターとして活動しながら、がん患者の「仕事と治療の両立」や前向きな生き方を届けることをライフワークにしている。 片目になってからLeicaを手に取り、光と影の中に生きる力を探す写真の世界にも夢中になった。失ってはじめて、世界の"本当の表情"が見えてきた気がしている。 クラウドファンディングによる出版にも挑戦予定。 病気になっても、失っても、人生は終わらない——その希望を、誰かに届けたい。

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