宣告された半年は、とうに過ぎた。
なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。
考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。
だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。
高校の、倫理の授業だった。
正直に言えば、真面目な生徒ではなかった。黒板より、窓の外を眺めているほうが好きだった。授業のほとんどは、右から左へ流れていった。ところがその日、先生が黒板に書いたひとつの言葉だけは、なぜか流れていかなかった。
イデア。
いま目に見えているこの世界は、本物の影にすぎない。ほんとうの姿は、どこか別のところにある。たしか、そんな話だった。教科書の説明は素っ気なかったはずだ。それでも僕は、机の木目を指でなぞりながら、妙な感覚に襲われていた。さっきまで当たり前だった教室が、急に薄っぺらく見えてきたのだ。
窓から差す光も、友だちの笑い声も、チョークの粉のにおいも、ぜんぶが書き割りのように思えた。
いま思えば、あれが始まりだった。
世界は、見えているとおりにあるのだろうか。——この問いは、一度ひっかかると、もう抜けない。棘のように、静かに残る。それから僕は、精神の不思議にとりつかれていった。
はじめはギリシャだった。けれど、イデアという「どこか別の、完璧な世界」を追いかけるうちに、僕の足はいつのまにか東へ向いていた。老子と、荘子である。
彼らの世界の捉えかたは、ギリシャとはまるで違った。真理を高いところに置いて仰ぎ見るのではない。あるがままの流れのなかに、そっと溶かしてしまう。人は物に名前をつけ、線を引き、これは良い、これは悪いと値を決める。その手つきそのものを、彼らは疑った。名づけるより前の世界を、そのまま受け取ることはできないか。
若い僕は、この感覚に、理屈より先に頷いていた。うまく説明はできない。ただ、身体のどこかがふっとゆるむような、そんな読み心地だったのを覚えている。
東洋の世界認識をたどっていくと、思いがけない場所に行き当たった。エラノス会議。スイスの、湖のほとりで開かれていた知の集まりだ。そこから糸をたぐるように、僕はユングを知り、フロイトを知る。人の心の奥へ挑んだ人たちの背中を、時代を遡りながら、ひとりずつ追いかけた。
とりわけ、ユングと東洋の関係が僕を離さなかった。集合的無意識。個人を超えて、人類の底のほうに流れているとされる領域だ。それは、仏教が長いあいだ説いてきた何かと、暗がりのなかで静かに手を握り合っているように見えた。まだ言葉にはできなかった。ただ、その予感だけが、胸の奥で灯って消えなかった。
やがて大学に進む。僕は一度、心理学の門を叩こうとした。人の心の、いちばん深いところに、じかに触れられる気がしたからだ。ところが、そこで学べたのは、数字とグラフで心を測る心理学だった。それが無意味だとは思わない。けれど、僕が知りたかったのは、測れる心ではなかった。もっと底の、まだ名前もつかないような場所だった。
だから僕は、遠回りに見えて、いちばん近い道に戻ることにした。哲学である。心の深淵に近づくための足場を、もう一度、いちから組み直そうと思った。
いま振り返ると、少年の僕が抱えていた問いは、つきつめれば、たった二つだった。
世界とは何か。
人の意識とは何か。
このころの僕は、それが自分をどこへ連れていくのか、まるで知らずにいた。四十年近くのちに、病室のベッドの上で、同じ二つの問いと、もう一度出会うことになるとも。あの日に降り積もった問いが、いつか自分を内側から支える骨になっているとも。
でも、それはずっと先の話だ。
まずは、教室の窓の外に広がっていた、あの薄っぺらく見えた世界から。そこから、ゆっくり歩きはじめよう。
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(第2章へ続く)