エッセイ

メタモルフォーゼ

眼帯

 人は多くの時間を身だしなみに費やします。最近では男性も女性も関係なく、鏡の前で髪や顔を触っている時間が長いんだそうです。

 実はこれ、人として当然のこと。身だしなみは他人とのコミュケーションを必須とする私たちにとって、とても大切なものなのです。

 もしあなたが企業の面接官で、パリッとリクルートをスーツを着て希望を語る就活生の右の鼻の穴から鼻毛がだらりと伸びていたら…。容姿端麗なアナウンサーが片方の眉毛を描き忘れてニュースの原稿を読んでいたら…。

 それだけ見た目というのはコミュニケーションを行う上で大切なポイントになります。

 ここからが病気の話になるのですが、1度目の治療で私は右目を失いました。放射線治療の犠牲となって重度の白内障になってしまったのです。涙腺も破壊されてしまったので、乾燥による違和感を防ぐために黒革の眼帯を着けることにしました。職人の町、岡山県は倉敷市の革職人による完全オーダーの眼帯です。

 見た目のリアクションはというと、これがちびっ子に大人気。どこに行っても指を指され、「かっこいい!」と褒めてくれます。親御さんは子供の視界から私が消えるように慌ててブロックはしますが、まあ、子供たちには結構評判がいいのです。アニメや漫画のキャラクターに眼帯が多いからでしょう。

 仕事上も、はじめは驚かれますが、「まあこんな人もいるのか」という具合にすぐに慣れてもらえます。

 2度目の治療は、顔の中にメスが入ったため、顔の中の傷が引きつれ右唇がめくれ上がった状態になってしまいました。革の眼帯にめくれ上がった唇。つまり、ものすごく悔しそうな顔をして眼帯をしている人です。ただ、このころはコロナによって皆マスクをしているので、普通に接する人からみるとマスクと眼帯をしている人になるわけです。ただこれは、私のおしゃれにもだいぶ気をつかってくれるパートナーの努力に寄るところが大きいと思っています。眼帯が重くならないおしゃれな格好です。

 ただ、自宅に戻り、マスクを外してくつろいでいると同居しているパートナーから、その顔でコロッケが歌う美川憲一の「蠍座の女」を歌ってみろと言われます。そりゃおもしろいでしょう。いやでも右の上唇がめくれ上がっているわけですから。マスク着用が当たり前の世界でなければ、どこに行っても私は「蠍座の女」を歌わなければならないのかと思いゾッとなりました。

 そして、今回3度目の治療。

 眼球から上顎までを取り除き、そこに腹直筋を移植するというものです。手術から1週間がたち、次第にその全容が明らかとなってきました。まだ抜糸もしていないし、パンパンに腫れているので変化としては今が一番大きいのかもしれません。

まず、顔の右側には縦横に血の跡も生々しい大きなステッチがはいっています。目玉も取ったので、まぶたがあった場所にはステッチが上に向かって弧を描くように縫われているのでまるで片目だけ漫画のように笑っています。

 そして、それがお腹の肉というのがポイントで、元々あった顔の表面とお腹の表面がツートーンで存在しているということです。つまり、おじさんの、めったに日に当たらない青白いお腹の表面が顔半分に貼り付き、血のステッチに隈取られてパンパンに膨らんでいる状態です。

 そして今回、一番面白かったのが声。

 歯がなくなったかわりに口の中に肉がみっちり詰まっています。何かをすきまなくくわえている状態でしゃべってみると分かると思うのですが、舌をほとんど使うことができません。さらに気管切開しているので痰がからみます。しゃべるといじわるそうな悪い魔法使いのおばあちゃんになります。

 背中を拭いてくれた看護師にいじわるそうに、

 「ありがろうね。痛みろめをくらさい」

 看護師は慣れてますが、これがコンビニになった時にスタッフはいったいどんなリアクションをするのだろう今からワクワクしています。

 「クレリットカーロでおねがいしましゅふ」

 あ、そうそう、まだヒゲを剃ることができないので、無精ヒゲが伸びています。まるで、黒澤映画に登場する、よく斬られているのだけどしぶとく生きている山賊、といったふうです。ツートーンの。悪い魔法使いのおばあちゃんの声の…。結構な混沌であることにいま気付きました。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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