エッセイ

眼と歯がなくなると浮気の心配はなくなるのか

白キンカチョウのめいちゃん

 がんになると多くのものを失う……と思いきや、実は、得るものも多く、失ってしまったものに囚われなければ、結構なプラスになります。

 いきなりお金の話になりますが、40歳を過ぎたら、がん保険はぜひ加入をおすすめします。

 私はフラの師匠ががんになり、がん保険に加入していたので助かったという話を聞いたことをきっかけに加入しました。それがなんと、がん発覚の6か月前。保険会社からすると大損かもしれませんが、私にとっては師匠のおかげで助かったというしかありません。こう書くと、さぞ大金が入ってきたな、このがん成金め、と思われるかもしれませんが、金額の問題ではなく、ゼロではないということがどれだけ心の支えになっているかということなのです。金額はさしたる額ではありません。念のために。

 師匠のすすめで先進医療保険も付けたのですが、師匠に言われたように治療の選択肢が与えられているのは心強いものです。これもあわせておすすめします。

 右眼を失ったことについては、多くの人に「不便でしょう」と言わますが、車の運転も警察とのカーチェイスをしないかぎり問題ないし、実は個人的にはあまり不便さを感じていません。ただ、微妙な遠近感を掴みにくいので、大好物である菊正宗の樽酒を片口からお猪口に注ぐときに少しこぼしてしまったり、大好物のカンパチの刺身を食べるときにしょう油皿の手前にしょう油を注いでしまうことはあります。ただ、こぼした菊正宗の樽酒は人目をはばからず吸いますし、カンパチさえ無事ならどうってことはありません。

 実は私にとって、片眼になったことで得られたものの方が大きいのです。どういうことかと言うと、ものを書いたり読んだりする上で、片眼になったことで以前よりも集中力が増している(相変わらず誤字脱字は多いのですが)、ということなのです。視界が少し狭くなったことで余計なものが目に入らず、とても具合が良いのです。

 なくなった上あごについても、これまで出そうと思っても出せなかったおじいちゃん風の声や発音になかなかの味わいがあります。年内には特殊な義歯が完成する予定で、おしゃべりや食事も今よりずっと楽になるでしょう。

 先日、私の優しい人であるパートナーが薄笑いを浮かべながら言いました。

 「眼も歯もなくなってつぎはぎだらけの顔だから浮気の心配がないのがいいな」

 そもそも、アラフィフのおじさんとおばさんの会話で浮気の話題が出ること自体、どこまで自己肯定感が強い中高年なのかと思います。「浮気の心配がない」と言うと、かつては相当なプレイボーイだったような言いぶりですが、まったくそういうことはありません。念のために。

 本当に面白いことを言う人です。薄笑いを浮かべながら。

 ただ、価値観は時代とともに様々に変化します。今は「多様性を認めよう」という言葉が何よりも正義であり、強力な武器となる時代。もしかしたら、若いイケメンよりも、年取ったカジモドやシュレックの方が魅力的な男性像という価値観が多勢となる社会が近い将来やってこないともかぎりません。その時に私のパートナーは薄笑いを浮かべるどころか、吠え面をかくことになるのです。

 

 追伸

 がんになって得た最大のものは、かけがえのないパートナーの存在に気づけたこと、そして、医者をはじめ、私の命を救おうと接してくれる人たちの存在です。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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