エッセイ

傷を愛して生きる

Memento_mori

memento mori

いつもアホみたいなことを書いているので今回はちょっとまじめに考えてみました。

がんの状態をあらわすカテゴリーにステージというものがあります。

わたしのがんはステージ4Cというもので、分類としては最も厳しいところに位置しています。

そんな自分の病気の状況を伝えられ、もうすぐ死ぬかもしれないという現実に直面したというわけです。

かつてがんで亡くなった友人が、死ぬ前に話してくれたことを思い出ししました。

「不思議なことに元気な頃は目にもとめなかった道端の草花の一輪がどうしようもなく美しく感じられる」

その時は「ふーん、そんなものか」と思っていたのですが、自分が同じような状況になってようやくその言葉の意味が分かったような気がします。

「死」を意識したとたん「生」が突然いきいきと輝きだすのです。

すぐに浮かんできた言葉が、西田幾多郎とともに日本哲学を牽引した哲学者、田辺元が述べていた「memento mori」という言葉でした。

メメント・モリ: memento mori)は、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句。

Wikipedia

この言葉は、時代背景や宗教観など、様々な場面でそれぞれの意味のとらえられ方がありますが、おおかた「死を忘れて無反省に人生を過ごすな」という意味で語られることが多いようです。

わたしは強制的に死を思わざるをえなくなりました。

確かに世界は一変しました。

「自分の価値観や、これまで信じてきたことが大きくゆさぶられ、問い直しを迫られる」

むむむ、こまった状況になったぞ。

死の恐怖が押し寄せてきてちょっとでも気を抜くと、どこかわからない恐ろしいところに引き込まれそうになります。

こころの中で必死に闘っていたことを覚えています。

「もがき苦しむ」とはこういうときに使う言葉なのだろうとそのときに実感しました。

具体的に何をどうしたからその状況を脱することができたのかは実はあまり覚えていません。とにかく、あれやこれやと悩んでいたらいつのまにか正気にもどっていたという印象です。

心的外傷後成長・PTG(Posttraumatic Growth)

病気をどのように受け入れるか、「受け止め」がその後の治療に大きな影響を与えるのではないか、そんなことを思いながら治療を続けています。そんな中で出会ったのが、「心的外傷後成長」という考え方でした。

Posttraumatic Growthの頭文字をとってPTGと表現します。PTSDはよく聞きますが、PTGは比較的新しい概念です。

PTG:強いストレス症状を引き起こす,つらく苦しい出来事やトラウマをきっかけに,悩み,精神的なもがきを経験することで人間として成長する現象。

似たような現象として、回復力を示す「レジリエント」というものがありますが、PTGの特徴は成長したからといって傷がなくなるわけではないということです。つまり、人間的な成長を果たした上で傷とともに生きていく、というものです。

心を揺さぶられる出来事を経験することで人は変化を余儀なくされます。

回復力が高い、打たれ強い人ばかりではありません。

出来事に翻弄され、深い闇に突き落とされた時、はい上がる気力さえ残されていない人もいます。それでも生きるしかない人たちは、消すことができない傷を抱えたまま新たな人生に向き合わなければならないのです。

傷だらけになっても何とか生きてきて、ふと振り返った時に、以前の自分と何かが変わった自分に気付く。それがPTGなのではないかと思います。

スーパーマンや聖人君子になることが正解ではない、人をそのまま人として受け止める愛情をベースにした深い人間理解がそこにはあるような気がします。

わたしにとって、PTGは、自分を含め人間を理解しようとするときの大きなテーマになると確信しています。

最近の自殺率を見ていると、いろんな困難に直面して、出口を求めて思い悩んでいる人がたくさんいるように思います。

少しでもそんな人の役に立ちたいと思っています。

ひどいがんになってしまったこの状況を乗り切ろうともがいている私の経験が、少しでも人のためになるのであれば、こんなに幸せなことはありません。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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