シリーズ序文
宣告された半年は、とうに過ぎた。
なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。
考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。
だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。
第3章 夜の編集室と、打つ手が尽きた場所
大学を出て、僕は報道の現場に入った。
哲学の続きをやりたい気持ちは、正直あった。ただ、卒業論文を書き終えた手で次にやりたかったのは、書斎ではなく現場のほうだった。人に会う。話を聞く。原稿にする。その繰り返しが、毎日になった。
やがて番組を作るようになり、ドキュメンタリーを撮るようになった。そのうち会社を辞めて、自分でプロダクションを立ち上げた。カメラを回し、編集し、人の言葉を文章に起こす。呼び名は変わっても、やっていることの芯は、いまも同じだ。
不思議なもので、忙しいほど、あの二つの問いは消えなかった。
世界とは何か。人の意識とは何か。
夜中の編集室で、モニタの中の他人の顔を何時間も見つめていると、ふっと戻ってくる。いま僕が見ているこの顔は、どこにあるのだろう。テープの中か、僕の網膜か、それとも。締切のほうが強いので、たいてい五秒で消える。でも、なくなったわけではなかった。ずっと、机の下あたりにいた。
先に、言っておきたいことがある。
僕は僧侶の資格を持っている。真言宗と、浄土真宗で得度した。護摩も焚いたし、真言も唱えた。
ただ、これから書くのは信仰の話ではない。あのとき自分の頭で何が起きたか、その記録だ。何かを信じるようになった話ではなく、考えが行き止まった話である。
なぜ得度したのか、僕はいまでもうまく一言にできない。強いて言えば、読むだけでは足りなくなった、ということだと思う。本の外から眺めているかぎり、それはどこまでも他人の考えだった。中に入ってしまえば、少なくとも自分の身体で確かめられる。そう思った。
そこで、空海に出会う。
正確には、名前はずっと前から知っていた。読んだのは、このときが初めてだった。『声字実相義』という短い文章がある。声と、文字と、ものの本当の姿。その三つの関係だけを論じたものだ。
空海はこう言う。世界は、声と文字でできている、と。
五大に皆響きあり。地も水も火も風も、あらゆるものが響いていて、その響きが文字になり、意味になる。ふつう仏教では、目に映るもの耳に届くものは迷いの元とされる。空海はそれを裏返した。世界が語りかけてくる現場そのものが、僕らの目であり耳であり皮膚のだ、と。
読みながら、僕は椅子から少し身を起こした。これは、宗教の話にしなくても成り立つ、と思ったからだ。
言葉が、世界を切り出している。ひとつながりの何かに、僕らは線を引く。ここからが山、ここからが空、これは炎。切り分けた瞬間に、それは「山」として現れる。切り分ける前に、山はなかった。——第2章で書いた、あの「立ち現れる」という言葉と、同じ場所を指しているように見えた。
千二百年前の僧と、二十世紀の哲学者が、同じ地面に立っている。そんなことが起きるのか、と思った。
浄土真宗のほうで出会ったのは、まったく別の人たちだった。清沢満之、曽我量深、安田理深。明治から昭和にかけて生きた三人である。
意外だったのは、彼らの出発点が信仰ではなかったことだ。清沢は西洋哲学を修めたうえで、あの場所に行き着いている。三人とも、まず理屈でとことん考える人たちだった。そして、理屈がもう効かない場所に、正面から突き当たっている。
清沢は、自分の立場をこう言い表した。どの方面に向かっても打つ手が尽き、尽き、尽き果てた、というその白状である、と。
主張ではなく、白状だった。ここが、僕には効いた。
安田理深は、こういうことを繰り返し書いている。人は言葉で世界を切り分け、その切り分けを世界そのものだと思い込んでいる。空海を読んだあとだったから、僕はこれを、そのまま続きとして読むことができた。切り出すことで世界は現れ、同時に、切り出したものを本物と取り違える。ひとつの働きの、光と影のような両面だ。
意識の底に、個人を超えて積み重なっていく層がある。彼らが受け継いでいた古い理論には、そういう考え方があった。少年のころに追いかけたユングの集合的無意識と、どこか似ていると感じた。学問としてそれを重ねてよかったのかは、いまもわからない。ただ、あのとき僕は確かにそう感じて、少し興奮していた。
そのころに知った言葉が、二つある。説明と、基礎付け。どこで拾ったのか正確には思い出せない。第1章で書いたエラノス会議、その周辺にいた神話学者と、日本から加わった臨床心理学者が使っていた言葉だ。
なぜ私はここにいるのか。それに理由を並べていくのが、説明である。
理由が全部尽きて、それでもなお「私はここにいる」が腹の底で重みを持つ。それが、基礎付けである。
説明は、いくらでも足せる。足せるうちは、まだ足りている。困るのは、足すものがなくなったときだ。そこで人は倒れるのだと、僕はずっと思っていた。三人が言っていたのは、たぶん逆のことだった。足すものがなくなったその場所が、始まりなのだ、と。
正直に言えば、このときの僕は、それを頭で理解しただけだった。
打つ手が尽きた、という言葉を、僕はまだ本の中で読んでいた。締切に追われ、カメラを回し、来月の請求書のことを考えていた。ようするに、打つ手はいくらでもあった。
だからこれは、知の勝利にすぎなかったと思う。世界の見え方について、僕はずいぶん整理のついた地図を手に入れて、それなりに満足していた。地図を持っているあいだ、人は自分が歩けると信じている。
その地図が一枚も役に立たない場所に、僕が本当に立たされるのは、これよりずっとあとだ。二〇一九年のことになる。
でも、それはまだ先の話だ。
いまはただ、机の下にずっといた二つの問いが、はじめて僕のほうを向いた。そのことだけを書いておく。
(第4章へ続く)