エッセイ

ものを食べるということ

病院食

 手術から2週間、いよいよ口でものを食べるところまでやってきました。もちろん通常の食事ではなく、細かく砕いた流動食というものです。この流動食がよくできていて、細かく砕かれる前になんであったのかがちゃんと分かるぎりぎりのところまで細かくされているのです。どんな状況になっても食事を楽しんでもらいたいという栄養士さんの意地を感じました。

 緊張のひとくち……ぐっ、げ、激むず。

 なんとか誤嚥(誤って気道に入ってしまい、肺炎の原因となってしまう)することなく飲み込むことはできたのですが、とにかくやたらと違和感だらけで、なんなのこれー? と叫びたくなるような衝撃を受けました。歯があれば叫べたのかもしれませんが、「らんらのこれー」とおじいちゃんが叫んでいるようになってしまうので叫びはしません。

 口の中の右側にはお腹の筋肉がぎゅうぎゅうに詰まっていて以前と形が異なっています。右半分の感覚がほぼ麻痺しているため、まず食べ物を喉まで運ぶことが難しいのです。前はどうしていたっけ、なんて必死で思い返しながら、なんとか喉の近くまで持ってきても、飲み込みの指令がなかなか出せない。えいままよ!と体に染みついた感覚だけを頼りに飲み込んでみると食道への圧と同じ圧が鼻の方向にも加わってしまい、気持ち悪いことこの上ない。

 それでもこれを何度も続けていると、鼻への圧力はさほど気にならなくなり、なんとか半分以上を平らげることができました。

 あとに残ったのは、麻痺している唇の右側から飛び出していった流動食の残骸と、食事をとったあとの赤ちゃんのように入院着をべちょべちょにしたおじさんでした。

 奇しくもきょうは東京五輪開会式。テレビでは、なんのかんのあったけどいよいよ開会式を迎えました、という特集が各局組まれていて、市民の皆さんから選手たちへの応援メッセージが流れていました。

 そんな応援を私へのエールだと勝手に一身に受けて、初の流動食に試みたわけですが、本当にもう、人間の体の神秘には驚かされます。

 ただものを食べるという行為にどれだけの複雑な動きと、刺激と喜びが隠されていたのか。「口当たり」「歯触り」「食感」「味わい」「のどごし」、おそらくまだまだあるはずです。

 こんな素敵なことを毎日三度三度行っていたなんて、もっともっと楽しんでおけばよかったと心底思います。ただ、もう二度と食事が楽しめないなんてこれっぽっちも思ってはいません。抗がん剤、放射線、手術を乗り越えてきたという自負があります。

 食事に関しては、きょうを再出発の日として、克服していきたいと思っています。開会式もありましたし…。

 歯は病院の歯科で特別な義歯を作ってくださるということです。これもまた楽しみのひとつ。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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