エッセイ

病気をめぐる言葉の力

石器

 病気をめぐる医者との会話で、「医者はまずリスクを語る」ことを知っておくべきです。なぜなら、そのことを知っているだけで余計な心の沈み込みを少しでも減らすことができるからです。

 例えば私の場合、医者は「手術をすると顔が大きく変わってしまうのでこれまでのような生活はできなくなります」とか、「上あごを取ってしまうのでこれまでのようなスムーズな会話ができなくなります」といった、手術後に想定されるマイナス要素をはっきりと私に伝えました。

 これは当然のことで、手術後に聞いていなかったとなると大きな問題になってしまうからです。医者としての当たり前の会話なのですが、ここでただひとこと、ポジティブな言葉を発することができるかどうかで、患者の気持ちや医者に対する信頼は大きく変わってきます。

 「一緒に頑張りましょう」

 「一日も早く元の生活を取り戻せるよう、私たちも全力でバックアップします」

 

 手術の傷跡がうずいて眠れない夜、そのひとことがどれだけ折れてしまいそうな心を支え、自分を包み込んでくれることか。私の経験から言えば、このひとことのあるなしで、治療の成果や回復のスピードは大きく変わってきます。それだけ、言葉の力は偉大なのです。

 不幸にもそんなひとことを言ってくれない医者にあたってしまった時はどうするのか。実は難しいことではありません。自分で言葉を書き換えたり書き足してしまえばいいのです。

 「これまでのような生活はできなくなります。でも、様々な不具合に向かい合うことでこれまで眠っていた自分の力を知ることができます」

 「スムーズな会話はできなくなります。でも、一語一語改めてことばと向き合うことで、より深くことばを理解獲得する達成感を得ることができます」

 ほんの少し言葉を足すだけで世界は180度変わってしまうのです。

 いままさに病に苦しんでいるのであればなおさらぜひ試してもらいたいと思います。どうか自分でポジティブな言葉、良い言葉をたくさん生み出してください。

 

 いまから1年半前、医者に「治療に効果がなければ余命は6か月です」と伝えられました。その時、どんなことばの書き換えをしたのかというと、「治療に効果がなくても、あと6か月は生きていられます」としてみました。

 交通事故や災害はもとより、パートナーに内緒でポチった宮崎美子の写真集の存在がばれ、手足を縛られ密閉したカプセルの中で徐々に酸素を抜かれる、または、富司純子の写真集の存在がばれ、下半身だけ水面から出して湖に沈められる、など非業の死をいつ迎えてもおかしくないのに、病気では少なくとも6か月は生きていられる可能性が高いと思うと、とても得をしたような気持ちになりました。それがさらに運良く、今も元気に生きています。隠し事が一切ないので。

 

 言葉の力は偉大です。

 社員が1人だけの小さな制作プロダクションを20年営んでいます。彼が入社して約10年、私は彼との関係を師弟関係だと思っているのですが、実は彼から私に対する敬意を感じさせることばをこれまで聞いたことがありません。きっと、彼にとっては尊敬に値しないただの上司なのかもしれません…(いま胸が締め付けられるような苦しさを感じました)。嘘でもいいからいつか「さすがですね」なんて言われたい。明らかに、見苦しく安っぽいプライドであることは承知のうえで、お世辞でもいいから聞いてみたい。はあはあはあ(動悸がしてきました)、そして、「そんなことないよ」と偉そうに言ってみたいのです。これだけは自分で自分に言い聞かせても余計に惨めになりそうだから。

 ことばの力は偉大なのです。最後まで読んでくれた皆さんがこれからたくさんのポジティブな良いことばと出会いますように。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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