中学生の頃、僕の家は、安心できる場所ではありませんでした。
父と母が仲たがいを始めたのです。父は一生懸命働いて、蓄えてくれた人です。亡くなった今も、残してくれたものにすごく感謝しています。僕の目には、母は父の悪口しか言えない人でした。それは今も変わりません。
喧嘩が絶えず、罵声が飛び交っていました。
僕は壁を殴りつけていました。すごく大きな穴が開いたのですが、次の日になると、そこには見えないようにカバーがしてありました。カレンダーがかけてあったりしました。
それは体面を気にする母のしたことで、僕はとても忌み嫌っていました。
そんな家の中で、一冊の本が僕を支えてくれました。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』です。古い版でした。
僕は自分の部屋で読みました。布団の中でも読みました。
ナチスの強制収容所に送られた精神科医の記録です。届いたのは、ひとつの事実でした。
自分よりもはるかに苦しい状況の中で、生きた人間がいる。
その後も、いろんな苦難に直面した時、この本は僕を救ってくれました。中学生の頃から、『夜と霧』はずっと僕のそばにあります。
『夜と霧』のほかにも折口信夫、柳田国男、井筒俊彦の本をずっと読んできました。今も読んでいます。どれも、僕を支えてくれたものです。
2019年、上顎洞がんで、治療が効かなければ余命半年と言われました。病室にも、この本はありました。
病室で読んで、僕は改めて確かめました。自分が信じているものを。
人生というのは、常に問われている。それが生きる意味である。
そのことを、自分で実感することができました。
末期がんになったことは、極めて不幸な出来事だと思いました。けれど治療の渦中に入ってみると、僕は多くの人に支えられ、生かされていることに気づきました。生きとし生けるもの、すべてがつながっている。そういう実感です。
僕がどんなに企てても、思うようにはなりません。かといって、不幸になるわけでもありません。そういう場面で、僕は人生から生きる意味を問われていると感じます。
いま、僕の手元にあるのは、新しい訳の『夜と霧』です。非常にまろやかに訳されています。中学生の僕が布団の中で読んだ古い版とは違いますが、問われているものは、あの頃から同じなのだと思います。