エッセイ

真っ先にやられる海賊

棚に並んだぬいぐるみ。海賊帽をかぶり、片目に黒い眼帯をした猫が、もう片方の目でこちらを横目に見ている。白黒写真。

「眼帯、かっこいいですね」

街を歩いていると、そう声をかけられる。

いつでも、どこでも。とくにお店の人に言われることが多い。

このあいだは、熊本城の二の丸公園で、散歩中の男性に言われた。

五十を過ぎて、こんなふうに声をかけられることは、なかなかないことだと思う。だから僕は、そのたびに本当に素直に喜んでしまう。

「ありがとうございました」

五十過ぎの男が、店先で、眼帯をほめられてにこにこしている。

ちょうどハロウィンの季節である。アニメや映画の推しキャラの格好を、たくさんの人が思い思いに楽しんでいる。

僕の眼帯も、もとをたどれば、それと少し似たところから始まっている。


手術で、右の眼球を取った。

取ってから困ったのは、光だった。光が当たると、目の奥の神経に強い痛みが出る。目はもうないのに、その奥が痛む。

これじゃあ外出できないな、と思った。

それで、光のあるところでは、手で右目のあたりを隠していた。片手は、いつも顔の右側にある。はたから見れば、ずっと頭痛をこらえている人だったと思う。

そんなことをしていたら、ある日、遊び心がむらむらと湧いてきた。

そうだ、黒革の眼帯を着けてみよう。

そのとき、僕の中ではひとつ考えが決まっていた。病気も、自分の体がその身に受けている事実であれば、これはもう体験として楽しむしかない。

光をよけるのが用事なら、それを果たす眼帯を選べばいい。そこに黒革を選んだのは、遊び心のほうだった。

イメージは、イスラエル国防軍のダヤン参謀総長。

ただ、革の眼帯を探すのはひと苦労だった。探しに探して、岡山県の倉敷市で、革の眼帯を作っている職人さんを見つけた。

すぐに取り寄せて、着けてみた。

切れ者の軍人というよりも、タコの化け物が登場する映画で真っ先にやられるような海賊が、生まれた瞬間だった。


思いついてすぐ、パートナーに話した。退院して間もない、まだ目の奥の痛みに手を焼いていたころだ。

パートナーは、すごくいいアイデアだと言った。そして、こんな格好をしたらいいよ、と教えてくれた。

眼帯を着けるなら、できるだけいつも、清潔感のあるビシッとした服装を心がける。黒革の眼帯に似合うように、全体のおしゃれとして楽しむ。

これが、すごく楽しい会話になった。

退院したばかりの二人が、海賊の衣装合わせをしている。

眼帯だけを考えていたら、眼帯は光をよける道具のままだったと思う。服まで一緒に考えたことで、眼帯は格好の一部になった。

いまの僕は、帽子を常にかぶっている。眼帯の革紐を留める目的もある。ジャケットは紺か黒。その下のシャツやTシャツは、明るめの色を選ぶ。

眼帯のほうも、倉敷のものからは代替わりした。いまのお気に入りは、ベラルーシの職人夫婦が作る黒革の眼帯だ。

これが、何度か使ううちに、革紐の接着がゆるんで外れた。革製品の修理をしているお店の職人さんに縫ってもらい、鋲は自分で打った。

自分で鋲を打つ海賊である。

いま、同じモデルをもうひとつ頼んでいるところだ。


YouTubeは、忙しさにかまけて、いまお休みしている。

再開するときは、海賊のBGMを流して、海賊のような格好をしてもいいかもしれない、と思っている。

BGMは、やはりパイレーツ・オブ・カリビアンだろう。

格好のほうは、キャプテン・ハーロックを思い浮かべている。松本零士さんの、あのキャプテン・ハーロックだ。

僕が会社を辞めて独立したとき、そのきっかけになったのがハーロックだった。海に漕ぎ出せ、といった感じのテーマの漫画で、ハーロックは僕の憧れの存在だ。

ただ、正直に書いておく。

憧れているのはキャプテン・ハーロックだが、実際には、タコの化け物に真っ先にやられる海賊になる可能性も否定できない。

なにしろ、倉敷から届いた眼帯を初めて着けた日に、その海賊はもう生まれていたのだから。


以前、人への返事にこう書いたことがある。はじめはなかなかそう思えなくても、形から入ることで、そのうち脳まで「あ、これは全然普通のことやな」って思い始めます、と。

僕の場合、その形は、黒革の眼帯と、帽子と、紺か黒のジャケットだった。

眼帯は名刺がわりになって、初めて会った人にもすぐに覚えていただける。便利なことこのうえない。

そして、知らない人までが「かっこいいですね」と声をかけてくれる。

この眼帯があるから、話しかけやすい雰囲気になっているのだとしたら。

それは、格好を一緒に考えてくれた人のおかげなのだと思う。

帽子で革紐を押さえ、紺のジャケットを羽織る。

今日も、真っ先にやられる海賊が、街へ出る。


Photograph by © 2024 Kazutoshi YAMAGUCHI. All rights reserved.

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山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクター・ライターとして30年以上活動。 2019年、希少がん「上顎洞がん」で余命6か月を宣告される。抗がん剤、放射線、14時間におよぶ手術を経て右目を失ったが、「どうせなら楽しんでしまおう」と開き直り、ブログとYouTubeで発信をつづけている。現在は動画制作コンサルおよびビジネスコンテンツライターとして活動しながら、がん患者の「仕事と治療の両立」や前向きな生き方を届けることをライフワークにしている。片目になってからLeicaを手に取り、光と影の中に生きる力を探す写真家として、もうひとつの表現を歩み始めた。失ってはじめて、世界の"本当の表情"が見えてきた気がしている。いまは、つらい出来事のあとに人がもう一度世界に名前をつけ直していく道すじを、哲学の本を手がかりに考えている。病気になっても、失っても、人生は終わらない――その希望を、誰かに届けたい。

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