エッセイ

たんぽぽ虫と睡眠

 「あ”あ”、だすけてええ、あ”あ”ぁ」

 草や木も眠ると言われている午前2時半。怪談もオバケが出てくるのは決まってこの時間、丑三つ時です。なんとなく目が覚めていたので水でも飲もうかとぼんやりしていた時でした。

 「あ”あ”、だすけてええ、あ”あ”ぁ」と地の底から湧き出してくるような低い中年女性のダミ声。連れ合いの寝言であることにはすぐに気が付いたのですが、怪談向きの時間帯が持つ独特の雰囲気と、聞いたことがない結構な音量の低い声に、私の脈は不規則になり、背中にじわっと嫌な冷たい汗をかいています。隣ではまだ飽きずにうめき声をあげています。仕方がないので、

 「もしもし、どうされましたか」

 すると連れ合いは眉間にしわを寄せ、

 「んん、刺す虫に追われとった」

 と言うと深いため息をつき、そしてなぜか「ふふ…」と少し笑いました。

 「ハチですか?」

 「ちがう(怒)、頭がふわふわしとる虫が飛んできたったい(怒)」と私はなぜか怒られました。

 「その虫に羽根はありますか?」と聞くのですが、すでに寝入ったようです。私は、また頭がふわふわした虫に襲われないかな、今度はしっかり刺されないかなとわくわくしながら待っていたのですが、そのまま別の夢に移ったらしく、にやにやしながら別の夢を見ているようでした。押しピンか何かでおでこあたりを刺して反応を楽しんでもよかったなと後になって思いました。

 以前は深作欣二監督の作品世界を思わせるような夢を見ていたらしく、口調も岩下志麻にむかって啖呵を切るかたせ梨乃になっていることがよくありました。翌日に夢の内容を尋ねると、私の胸や腹を傘の先端でめったざしにして血だらけにしたり、髪の毛を掴んで引っ張りまわし、頭を血だらけにしたり、素手で殴ったり蹴ったりして血だらけにしたり……

 それを思うと、優しい夢を見るようになったものです。タイミングとしては私の病気で変わったような気がします。つい先日の夢も、バスを降りる際に小銭がないことに気付いたということで、「270円、はやく! 270円たい(怒)」でした。もしかしたら、私が病気になったことで、自分はおりこうさんにならないといけないと、何かを抑え込んでいるのかもしれません。かたせ梨乃的な何かを……

 写真は翌日に描いていただいた虫の絵です。タンポポのような愛らしい見た目とはうらはらに飛んできてムカデのように刺すのだそうです。まあ、刺されなかったので良かった良かった。

 すみません。今回はがんで不安を感じている人の役に立つような情報がありませんでしたね。

 体を休めたり、傷を回復させてくれる睡眠はとても大事です。いろんな心配や不安はありますが、こんなけったいな記事を読んだ今夜は、どこかでだれかがかたせ梨乃や岩下志麻になりきってストレスを発散させているんだろうな、なんて面白いことを考えながらゆっくり眠ってください。素敵な夢があなたに訪れますように。変な虫に追いかけられたりしませんように——。

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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