
宣告された半年は、とうに過ぎた。
なぜ僕はまだ生きているのか。というより、なぜ僕は倒れずにいられたのか。回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。
考えてみると、それは薬でも手術でもなかった気がする。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何か。若い頃、何に惹かれ、何を学んできたのか。その道筋そのものが、いつのまにか僕を支える骨になっていた。
だからここに、自分の哲学遍歴を、シリーズとして書き残しておくことにした。これは回復とは何かを知りたい、僕自身のための記録でもある。
歩きはじめて、最初に立ったのは、哲学の教室だった。
心理学の門は、もう閉じたあとだった。数字とグラフの、その奥へは進めない。だから僕は、足場を組み直すことにした。哲学概論を、いちからやり直す。当たり前だと思っていた言葉を、ひとつずつ裏返して確かめる作業だ。地味だった。でも、嫌いではなかった。
最初に出会い直したのは、デカルトだった。
すべてを疑う。目に映るものも、手で触れるものも、ぜんぶ夢かもしれないと疑う。それでも、疑っている自分だけは、疑いようがない。我思う、ゆえに我あり。——ここで世界が、ぱきりと二つに割れる。考える「私」と、その外に広がる物の世界。心と、物。
この切り分けは、鮮やかだった。ナイフの断面のように、迷いがない。けれど、惹かれながらも、僕はどこか居心地が悪かった。私と世界のあいだに、こんなにくっきりした線が、ほんとうに引けるのだろうか。
そのころ、それまで名前も知らなかった人に出会う。ジョージ・バークリー。視覚論、というものを、僕ははじめて学んだ。
彼はこう問う。僕らは、ほんとうに「距離」を見ているのか、と。遠くの山は、小さく見える。近づけば、大きくなる。手を伸ばしても、届かない。けれど目に届いているのは、平たい光と色の模様にすぎない。奥行きは、見ているのではない。触れて、歩いて、確かめる。心があとから組み立てているものだ。存在するとは、知覚されることである。彼は、そこまで言い切った。
この考えは、僕を静かに揺さぶった。
いま見えているこの景色は、外にある物そのものではないのか。心の側に立ち現れた、像なのか。だとしたら——デカルトが引いた、心と物のあの線は、どこにあるのだろう。どちらが先で、どちらが本物なのか。
一元論と、二元論。少年のころ、窓の外に感じたあの薄っぺらさ。それが今度は、言葉の形をして目の前に戻ってきた。
心と物、二つに分けて考えるのが二元論。もとはひとつだと考えるのが一元論。理屈より先に、僕の身体は一元のほうへ傾いていた。老子と荘子を読んだときの、あのふっとゆるむ感じ。あれと、同じ方角だった。
その道の先で、大森荘蔵に出会う。
彼は、見る私と見られる世界を、はじめから分けなかった。世界は、心の外によそよそしく在るのでもない。心の中に映った像でもない。ただ、そこに「立ち現れて」いる。机も、光も、この僕も、同じひとつの現れのなかにある。
卒業論文のテーマは、これになった。「立ち現れる世界」についての考察。
書きながら、僕はまだ知らずにいた。ずっとあとで、痩せた身体で病室の天井を見上げるとき。この「立ち現れる」という言葉に、思いがけず助けられることになるとは。
でも、それはまだ先の話だ。
いまはただ、割れてしまった世界を、もう一度ひとつに縫い直そうとしていた。その、たどたどしい手つきの話から、続けよう。
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(第3章へ続く)