駅のホームというのは、不思議な場所だ。
そこは単なる通過点にすぎないのだけれど、電車が来るまでの数分間、僕たちは「待つ」という行為を共有する同志になる。言葉を交わすわけでもなく、互いに干渉することもない。けれど、同じ空間で、同じ方向への風を待っている。
今日の一枚は、そんな駅でのひとコマ。
無機質で頑丈な鉄骨が描くバツ(×)の字の幾何学模様。 その前で、等間隔に並ぶ人たち。
ある人は本(あるいはスマホ)の世界に没頭し、ある人は遠くを見つめ、ある人はただ静かに立っている。
ファインダーを覗きながら僕は思う。 この鉄骨の「硬さ」があるからこそ、人の「柔らかさ」や「頼りなさ」、そしてその奥にある「温かみ」が際立つのではないか、と。
中央の男性の、少し猫背になった背中。 右側の女性の、ふっと力が抜けた立ち姿。
それぞれが、それぞれの人生という荷物を抱えて、それぞれの目的地へと向かっている。 今はただ、その途中の束の間の休息。
アンリ・カルティエ=ブレッソンは「決定的瞬間」と言ったけれど、何かが激しく動く瞬間だけがドラマではない。 誰も動かず、ただ静かに時間が流れている。その静寂の均衡がとれた瞬間もまた、愛おしい「決定的瞬間」なのだと思う。
彼らが電車に乗り込み、去っていけば、この構図は崩れ去る。 二度と同じ配置で、同じ人々がここに立つことはない。 そう思うと、なんでもない日常の風景が、急に奇跡のように思えてくるから不思議だ。
今日も世界は、幾何学的な冷たさと、人間的な温かさの間でバランスを取りながら回っている。
さあ、僕も次の電車に乗ろう。 カメラをバッグにしまって、また新しい景色に出会うために。