エッセイ

半分の愛情

フラを踊ります。
ハワイ語で男性のことを「カネ」と言うので、私はカネフラのダンサーということになります。かれこれ、10年ほど続けてきました。

昨日、約3年ぶりにフライベントに参加し、久しぶりに人前で踊りました。

場所は、熊本県水俣市。
公害の街として世界的に知られている水俣市ですが、実はその名のとおり、山から流れる2本の清流が交わる位置にあり、自然が豊かで、特に水の美しい土地です。

青空に恵まれ、緑の芝生がどこまでも広がるエコパーク水俣の野外ステージ。
とにかく、気持ちのいい舞台でした。

踊りの出来はともかくとして――
会場のみなさんに、できるだけの「福」をお届けする気持ちで踊りました。

気持ちは満面の笑みなのですが、どうしても顔が少しひきつってしまうのは、ご愛嬌ということで。


何をするにも2人一緒

喜怒哀楽のさまざまな場面を、ふたりで一緒に過ごしています。
つらいことは半分こにして、楽しいことは2倍にして。

踊ったあと、ふとそんなことを思っていると、ある出来事を思い出しました。


回転寿司での出来事

つい先日、駅ビルの回転寿司店に、ふたりで行ったときのことです。

熊本・牛深の美味しい魚を楽しみつつ、ハイボールのアテにと、天ぷらの盛り合わせを注文しました。

顔に腹部の筋肉をたっぷり移植している私にとって、一貫の寿司は少し大きすぎて、ぱくっとほおばることができません。
なので、持参の小さなナイフで半分に切り、連れと分け合って食べています。
寿司を半分にして渡すときには、なぜか「へい、お待ち」と言うようにしていて――

おじさんとおばさんがママゴトをして遊んでいるようにしか見えないので、あまり人に見つからないよう、こっそりと楽しんでいます。

この日のおすすめは、初夏が旬の「アコウ」。
濃厚なうま味と、ぷりっとした歯ごたえを、ふがふがと楽しみました。

ふと、テーブルの天ぷら皿に目を戻すと、そこには――
半分に噛み切られたニンジンとシイタケの天ぷらが2つ、並んでいました。

連れが私のために噛み切ってくれた、ワイルドな天ぷらです。


半分こされた愛情

退院直後、私の口の中は、やけどと口内炎で大変なことになっていて、こうした“かたちのある食べ物”はまったく口にできませんでした。

だから、連れが自分で噛んで、やわらかくしてくれていたのです。

特に揚げ物は、パン粉がとがっていて危険です。
豚カツなどは、もはや原型をとどめないほど、しっかりと咀嚼されていました。

(※写真はありません。安心してください)
でも、私にとっては、それが本当に美味しい“ごちそう”でした。


愛の結晶とは

――と、美しい水俣の野外ステージで、久しぶりにフラを踊った私は、そんな出来事を思い出していました。

愛の結晶は、なにも美しいものばかりとは限らない。
半分に噛み切られたニンジンやシイタケだって、あふれるほどの愛情を宿している。

そういうことなのだと思います。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクターやライターとして30年以上活動してきました。 報道からバラエティ、ドキュメンタリーまで幅広い番組を手がけてきたのですが、2019年に「上顎洞がん」という聞きなれない希少がんにかかり、余命6か月を宣告されました。 その後、抗がん剤、放射線、そして14時間におよぶ手術で右目を失いながらも、「どうせなら、この経験も楽しんでしまおう」と開き直り、今こうしてブログを書いたり、YouTubeで思いを発信したりしています。 今は、ビジネスコンテンツライターやスピーチコンサルとしても活動しつつ、がん患者の「仕事と治療の両立」や「前向きな生き方」に役立つ発信をつづけています。 最近は写真にも夢中です。片目になってから、かえって世界の“本当の表情”が見えるようになった気がしています。Leica片手に、光と影の中に生きる力を探す毎日です。 この先は、クラウドファンディングで出版にも挑戦する予定です。 病気になっても、失っても、人生は終わらない。 そんな希望を、少しでも誰かに届けられたらと思っています。

-エッセイ
-, ,