海辺に住んでいることを知った、
私が後に「ハマジイ」と呼ぶことになるそのおじいちゃんは、
ある日、病棟の廊下の真ん中でちょっともじもじしながら、私が来るのを待っていました。
「(放射線に一緒に行こう)」
少し聞き取りにくいけれど、たぶんそんなことを言ったのだと思います。
「あ、いいですね。一緒に行きましょう」
入院しながら放射線治療を続けていると、だいたい同じ時間に呼ばれるので、
患者同士で顔なじみになることがあります。
でも多くの人は治療でくたびれているので、話す元気もなく、軽く会釈を交わす程度。
そんな中で、ハマジイは少し違いました。
首から肩にかけて、ざっくりと肉が削がれた手術の痕。
顔の片側も大きくえぐれていました。
そこを埋めるだけの健康な肉がなかったのかもしれません。
それでも、表情がなくなるわけではなく――
むしろ、表情筋が残っているもう片方の顔で、思いきり感情を表現するのです。
「一緒に放射線に行きましょう」と返したときの、あのうれしそうな表情――
私は今でも忘れることができません。
しばらくして、こんなことを聞きました。
「80歳を過ぎて、その手術はつらくないですか?」
すると彼は言いました。
「(どうしようか迷ったけど、もう少しやりたいことがあったので、生きようと思って手術をした)」
やりたいことが何なのかは、とうとう聞けませんでした。
でも、ハマジイをワクワクさせる何かが、きっとあったのだと思います。
放射線の“温泉仲間”として一緒に通っていると、すぐにナースの悪口が始まります。
ただ、あれだけ口や喉に大きな手術をしているので、最初は何を言っているのか分からず、私は相槌を打つだけでした。
でも、何度か顔を合わせていると――
なぜか分かるようになってくるんです。不思議なことに。
「ふんが、ふんがふんが、ふんがーっはっはっっは」
「僕は若かろうが歳をとっていようが、あまり変わりませんけどね」
「ふんがー!おうおうおう。ふんがふんがふんがっ」
「何を期待してるんですか」
ようするに――
女性は若くて愛嬌があるのがいい。若い女性に大事にされたい。
と言っているわけです。
このテーマは、最後まで一貫して貫かれていました。
年配のナースに面と向かって悪口を言って、いじめられたとか。
若いナースに変えてくれと言ったら、口をきいてもらえなくなったとか。
実はこの**“色気”**も、
がんや病気に立ち向かうときの、大切なキーワードなのではないかと私は思っています。
でもその話は、また別の機会に。
ハマジイは、年寄りと話すのが好きではない、と言っていました。
話していると、元気を吸い取られてしまうと。
たしかに、それは分かる気がします。
つらい治療を続けていると、指一本動かすのも億劫になります。
それでも、相撲の時間になると、談話室の大きなテレビの前に集まり、
ひいきの関取を応援する患者さんたち。
でも、そういう弱った人たちとの会話は、たしかに疲れるのです。
だからハマジイは、病棟では比較的若者だった私に声をかけ、
友達になりたかったのかもしれません。
やがて放射線治療が終わり、
話すこともなくなっていったハマジイ。
でも私は信じています。
きっと今も、海辺の家で――
ひ孫たちを相手にふんがふんが言って笑っているのだと。
自分の病気を受け入れる「包容力」
人との会話を楽しむ「コミュニケーション力」
物事を楽しむ「好奇心」
この3つは、本当に大切なことだと、改めて教えてもらった出会いでした。
あ、そうそう。
それから「色気」。だから、4つ。