エッセイ

二十個の結び目

二十個の結び目

朝、目が覚めて、まだ布団の中にいるあいだに、僕は同じ言葉を繰り返している。

私は毎日、あらゆる面で、ますます良くなっている。

声には出さない。口の中で、二十回。

こうして文字にしてみると、ずいぶん間の抜けた言葉だと思う。がんの診断を受けて、右目を失って、右の耳も聞こえなくなった人間が、朝いちばんに布団の中でこれを唱えている。絵として想像すると、なかなか滑稽である。

それでも僕は、これを続けている。

この言葉を見つけたのは、エミール・クーエというフランス人だ。

一八五七年、トロワの生まれ。職業は薬剤師だった。二十五歳から五十三歳まで、二十八年のあいだ、町の薬局のカウンターに立っていた人である。

その二十八年のうちに、彼はあることに気がついた。

まったく同じ薬を渡すのに、黙って渡した相手と、「これはよく効きますよ」と一言添えて渡した相手がいる。あとのほうが、目に見えてよくなる。

薬の成分は同じである。違うのは、渡すときの言葉だけだ。

いま僕たちがプラセボ効果と呼んでいるものを、彼は薬局のカウンター越しに見つけたことになる。

一九一〇年、彼はナンシーに小さな診療所を開いた。そこで彼がやったのは、集まってきた人たちに、あの言葉の唱え方を教えることだった。

朝、目が覚めたらすぐ。夜、床についたらすぐ。二十の結び目のついた紐を用意して、指で一つずつ送りながら、二十回。

診療は無料だった。

彼はこう言っている。

私は誰かを治したことなど一度もない。人が自分で自分を治すやり方を、お見せしているだけだ。

こういう話をすると、要するに思い込みでしょう、と言われることがある。

そのとおりだと思う。思い込みである。

僕は昔から思い込みが激しいほうで、そのことで怒られた回数もそれなりにある。ただ、病気のときにかぎっては、この体質はわりと有利に働く。

そしてもう一つ、面白いことがある。

この思い込みは、思い込みだと知っていても働くらしいのだ。

二〇一〇年に、アメリカでこういう実験が行われている。過敏性腸症候群の患者八十人に、「これは砂糖でできた偽の薬です」と正直に説明したうえで、その偽薬を渡した。何も渡さなかったグループと比べて、渡されたグループのほうが、症状がはっきり軽くなった。

偽物だと知らされていても、効いた。

だから僕は、自分に嘘をついている気分になることもなく、これを続けていられる。効くと信じ込んでいるというより、効くらしいから使っている、という感覚に近い。

念のため、はっきり書いておきたいことがある。

いま僕がこうして生きているのは、日本の医療のおかげである。ここは一ミリも動かない。

十四時間の手術で、腫瘍と一緒に右目を取ってもらった。そのあとの治療も受けた。いまもオプジーボの点滴に、定期的に通っている。あの技術と、あの人たちの手があったから、僕は今日この文章を書いている。

言葉で腫瘍が消えることはない。それは僕がいちばんよく知っている。

そのうえで、思うことがある。

病院にいる時間は、一年のうちのごくわずかだ。

残りの、圧倒的に長い時間を、僕は自分の家とクライアントのオフィスで過ごしている。検査の結果を待っている夜がある。ふとした痛みに、再発という二文字がよぎる朝がある。診察室の外に広がっている、その膨大な時間のほうまでは、医療はどうしても手が届かない。

そこを支えているものの一つが、あの二十回だと思っている。

高度な医療と、一円もかからない一行。僕の場合、この両方が要る。

もう一つ、これは理屈ではなく実感の話になる。

「良くなっている」と自分に言い聞かせていると、良くなっている材料のほうが目に入ってくるようになる。

去年より階段が楽だとか、今日は味がよく分かるとか、そういう小さなことだ。逆に悪くなっている材料を探しはじめると、それもいくらでも見つかる。人間の頭は、探しているもののほうを見つけるようにできているらしい。

どちらを探して一日を過ごすか。それを、朝のうちに決めてしまう。

僕にとってあの二十回は、たぶん、そういう装置なのだと思う。

心と身体はつながっている。この当たり前のことを、僕は病気になってから、身体のほうから教わった気がする。

最後に、これがいちばん言いたいことかもしれない。

この方法には、お金がかからない。

一円もかからない。予約も要らない。副作用もない。誰かに報告する必要もないし、効かなかったとして、失うものが何もない。

世の中には、藁にもすがりたい人に高額な何かを売る商売がある。それと並べてみたとき、クーエが百年前に無料で配ったこの一行の強さは、なかなかのものである。

もし、いま夜が長い人がいたら。

明日の朝、目が覚めたときに、布団の中で二十回だけ唱えてみてもいいかもしれない。

私は毎日、あらゆる面で、ますます良くなっている。

やっぱり、間の抜けた言葉だと思う。

でも、間の抜けた言葉に助けられる日というのは、案外あるのだと思う。


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山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクター・ライターとして30年以上活動。 2019年、希少がん「上顎洞がん」で余命6か月を宣告される。抗がん剤、放射線、14時間におよぶ手術を経て右目を失ったが、「どうせなら楽しんでしまおう」と開き直り、ブログとYouTubeで発信をつづけている。現在は動画制作コンサルおよびビジネスコンテンツライターとして活動しながら、がん患者の「仕事と治療の両立」や前向きな生き方を届けることをライフワークにしている。片目になってからLeicaを手に取り、光と影の中に生きる力を探す写真家として、もうひとつの表現を歩み始めた。失ってはじめて、世界の"本当の表情"が見えてきた気がしている。病気になっても、失っても、人生は終わらない――その希望を、誰かに届けたい。

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