どざえもん【土左衛門】
(享保頃の江戸の力士・成瀬川土左衛門の身体が肥大であったため、世人が溺死体の膨れあがった様子を彼になぞらえ戯れたことに由来)
= 溺死者の遺体。
―『広辞苑』
なんという由来だろうかと思いますが、これは別に警察の鑑識課職員の話ではありません。
先日、なにげなく
「あんあんあん、とっても大好き…」
と歌っていたところ、何度挑戦しても、どうしても「土左衛門」となってしまうのです。
ファンの方からすれば「作品への冒涜だ」と怒られそうですが、そうとしか歌えなかったので、ここはどうかご容赦ください。
以前「ほら貝事件」のときにお話した通り、私は手術で上あごの半分を取り除いており、上の歯がほとんどありません。普段は義歯を装着しているので日常生活に大きな支障はないのですが、義歯をはずしたまま例の歌を歌おうとすると、どうしても鑑識課職員が遺体検分の現場で口ずさみそうな内容になってしまうのです。
そんなわけで、歯の大切さを痛感しています。
しゃべるだけでなく、食べることにも直結するからです。
義歯では、かたいものを食べるのが苦手です。たとえば、3パック千円のちょっとお得な厚切り豚肩ロースを焼きすぎてしまった場合、私はまるでかたいものを食べる犬のように、頭を振りながら、
「んがっ、んがっ」
と声を出して食べることになります。
まあ、これはこれで面白いと言えば面白いのですが、外食が減ったのはやはりこのあたりが理由です。
歯は大事です。
ただ、「白い歯がよい」という最近の風潮には、ちょっと疑問があります。
日本の伝統色である「象牙色」こそ、日本人の歯の色としてもっとも自然で美しいのではないか――と、私は思っています。
……まあ、そもそも歯がない私が言っても説得力はないのですが。
どうやら私の連れは、この「白い歯信仰」の持ち主のようです。
私は今のままでも健康的で素敵な象牙色だと思っていたのですが、それを伝えると、連れはこう言いました。
「歯のない男がなにをぬかすか。私は自分の歯にコンプレックスがあるのだ。歯っ欠けの片目は黙っておれ! ハッハッハ!」
先日、草木も眠る丑三つ時、私はトイレに起きて、真っ暗な廊下に立っていました。
ふと、背後に人の気配を感じておそるおそる振り向くと――
そこには、青白く光る歯が浮かんでいたのです。
「ドクン」と心臓が鳴り、私は冷たい手で胸をわしづかみにされたようになり、悲鳴を上げることさえできませんでした。
腰が抜けそうになったのを、必死にこらえて立ち尽くします。
そこに立っていたのは、歯を白くする器具をくわえた連れでした。
青白い光を口から放ちながら、ふわりと浮かぶような笑顔をこちらに向けています。
――ホラー映画か。
そう思った私は、心から思いました。
「トイレのあとでよかった…」
【おわりに】
今回の話は、がんの話でも医療の話でもありませんでしたが――
それでも私は、歯があること、声が出ること、笑えること、
そして、夜中に青白く光る誰かがいること……
すべてが、愛おしい人生の一部なのだと、しみじみ思うのです。