ライターでがんサバイバーのゆるい日々のゆるい記録。
2025/4/28
──見ることと存在をめぐる意識の再生 世界は、私たちが思っている以上に、脆く、そして美しい。 最近、私は「写真」と「哲学」、そして「命」という三つのテーマを、ひとつの線で結ぼうとしています。 きっかけは、数年前に受けた「余命半年」という宣告でした。世界が意味を失い、すべてが無分節の闇に沈んだあの瞬間。それでも、カメラを手にして、もう一度世界を見ようとしたとき、私は知ったのです。「意味は、絶望の中からでも生み出せる」ということを。 今、私は井筒俊彦の哲学に導かれながら、写真という表現を通じて、人が生きる意味 ...
「その顔で取材するの?」と言われた日 ——堂々と生きるということ
2025/4/23
経営者仲間とビジネスについて語り合う機会がある。この日は、歯に衣着せぬ物言いと、ちょっぴりシャイな笑顔が魅力の男性経営者との会話で感じたことだ。 この経営者と直接向き合って話すのは初めてで、ビジネスのことはもちろん、病気のこと、プライベートなことまで話が弾んだ。 僕がいまも地元テレビ局の番組を制作していると伝えると、彼は驚いた顔でこう言った。 「その顔でロケに行くの? 相手が怖がらない?」 僕は笑い転げた。でも、たしかにそうなのだ。右目を失い、黒い革の眼帯をしているこの顔で、取材に行く。 けれど、うまくい ...
2025/4/13
我が家には二種類の歯磨き粉がある。ひとつは、某有名ブランドのホワイトニング効果があるという高級歯磨き粉。もうひとつは、ドラッグストアで「本日限り!」と赤札付きで山積みにされる庶民派歯磨き粉だ。 もちろん、どちらを使うかは「立場」で決まる。歯の白さに命をかけるうちの連れは、当然ながら高級路線。一方、歯の本数がそもそも少ない僕は、必要量も少ないし、まぁ…そっち(庶民派)でいいか、となる。 だって僕は、過去の手術で上あごの右半分がごっそりなくなり、放射線治療の影響で歯も折れやすい。歯磨きというより「歯のメンテナ ...
2025/4/8
桜の花びらが舞う中、赤ちゃんを高く掲げる父親の顔には、何とも言えない喜びが広がっている。そして赤ちゃんは——そう、赤ちゃんは何が起きているのかまったく理解していない。 「パパ、なんで僕を空中に投げ上げるの?これって安全なの?」 赤ちゃんの表情からは、そんな疑問が聞こえてきそうだ。 しかし、この一瞬を切り取った写真には、言葉では表現できない何かがある。 時を超える窓 写真というのは不思議なものだ。 「動画の方が情報量が多いでしょ?」 そう思われがちだけど、僕はそうは思わない。写真には、動画には決して捉えられ ...
2025/3/17
市電に乗って、ふと思った。この日、この時間、この電車に乗り合わせたこと自体が奇跡だ。 がんが見つかり、自分の命が尽きるかもしれないと考えた瞬間、まず驚いたのは、過去から連綿と受け継がれてきた命の尊さだった。そして次に驚いたのが、「出会い」だ。 何百、何千年とさかのぼってみる。もし自分のご先祖が、大量のドングリを持って求愛に訪れた集落の首長の甥っ子ではなく、片道2、3日の海岸まで行き、貝を採ってきた耳飾りが似合う隣集落のたくましい若者を選んでいなかったら——今の自分は存在しない。そう考えると、この出会いを奇 ...
2025/3/12
余命半年を告げられたとき、思い残すことがないようにしようと思った。そして、そこで挑戦を始めたのが、写真だった。 20代のころ、僕は写真に熱中していた。ファインダー越しに世界を見るのが楽しくて、時間を忘れてシャッターを切った。けれど、仕事が忙しくなるにつれ、やむなく写真から遠ざかってしまった。それから会社を辞め、自分の会社を立ち上げ、仕事中毒のような日々が続いた。いつしか、写真の存在すら忘れていた。 2019年にがんを宣告されたとき、人生があと数か月しか残されていない可能性が高いと言われた。最初は途方に暮れ ...
2025/3/10
日差しがあたたかい午後、近所を歩いていると、仲睦まじく散歩をする老夫婦の姿が目に入った。 男性が少し前を歩き、女性が少し後ろをついていく。ずっとそうしてきたのだろう。並んで歩いて会話を楽しめばいいのに……と、一瞬思ったが、それが浅はかな考えだとすぐにわかった。 きっと、これが二人にとっての「自然」なのだ。 彼らは何も言わず、突然立ち止まり、腕を大きく広げて深呼吸を始めた。梅の香りがほんのりと漂う春の空気を、愛する人と並んで胸いっぱいに吸い込む。どれほどの年月、こうして歩き、こうして春を迎えてきたのだろう。 ...
2025/3/8
笑顔には力がある。 そんな当たり前のことを、僕が本当に実感したのはがんになってからだった。 入院中、辛いときこそ笑顔でいようと決めた。理由は単純で、なぜか笑顔になると気分が少し楽になったからだ。医学的な根拠があるかどうかなんて、当時は知らない。ただ、なんとなく気分がよかったから、できるだけ笑顔でいた。 病院の中では、当然ながら苦しそうな顔をした人が多い。廊下ですれ違う患者も、みんな表情が硬い。でも、こちらが笑顔で挨拶すると、最初は驚いた顔をしながらも、すぐに笑顔になって挨拶を返してくれることが多かった。そ ...
2025/3/7
東京での仕事が始まり、月に一度ほど通うようになった。来るたびに思うのは、「都会には急いでいる人が多いな」ということだ。 写真に写るスーツ姿の彼も、きっとどこかへ急いでいるのだろう。会議に遅れそうなのか、それとも締め切りに追われているのか。横を通り過ぎる作業着の男性は、まるで別の時間軸で生きているように見える。都会には、こんなふうに違うリズムの時間が交差する瞬間が、無数にある。 でも、なぜ僕らはこんなに急ぐのだろう? 約束の時間、締め切り、スケジュール。社会全体が「時間」によって動いているから、僕らもその歯 ...
2025/3/7
しばらく更新が止まってしまっていたこのブログを、また書き始めることにした。 なぜか。 理由はいくつかあるけれど、一番大きいのは、「生き残った意味」を考えるようになったからだ。 末期がんから生還できたということは、何らかの役目があるのではないか。そんなことを思うようになった。ブログやYouTube、患者会を通じて出会う人たちは、がん治療の不安や苦痛、絶望と向き合いながら毎日を生きている。あの頃の自分もそうだった。 同じ苦しみを味わった人間として、そんな人たちを見過ごすことはできない。だから、また書かなければ ...