宣告された半年は、とうに過ぎた。
余命を告げられたとき、医者の言葉は妙にはっきりと耳に届いた。それなのに、あの日からの時間だけが、うまく数えられない。気づけば僕はまだここにいて、朝が来れば仕事をし、夜になれば本を開いている。
なぜ僕は、倒れずにいられたのだろう。
回復力、レジリエンスというやつを、この頃よく考える。あの治療を、あの手術を、なぜくぐり抜けられたのか。もちろん薬は効いたし、医者の腕もあった。けれど、それだけではない気がしてならない。もっと前から、僕の中に静かに降り積もっていた何かが、いざというときに僕を内側から支えていた。そんな感覚がある。
その「何か」を、僕は言葉にしてみたくなった。
考えてみれば、若い頃から僕は、ずっと同じことばかり気にしていた。世界とは何か。人の意識とは何か。答えの出ない問いに惹かれ、あちこちの思想を渡り歩いてきた。ギリシャの哲学から、東洋の思想へ。心理学へ、そして仏教へ。傍から見れば、とりとめのない道草だったかもしれない。
でも、いま振り返ると、その道草の一歩一歩が、僕という人間の骨格をつくっていた。病気がその骨を折ろうとしたとき、折れずに残ったのは、たぶんこの積み重ねだった。
だから、書き残しておこうと思う。
僕が何に惹かれ、何を学び、どこでつまずき、どこで救われてきたのか。それを一つの遍歴として、これからシリーズで綴っていくつもりだ。立派な思想の解説をしたいわけではない。ただ、一人の人間が世界を知りたいと願い続けた記録が、いつか、誰かの支えの骨に、ほんの少しでもなればいい。
そしてこれは、何より僕自身のための記録でもある。回復とは何か。生き延びるとは何か。その答えを、僕はまだ探している最中だ。
長い旅になる。
始まりは、高校の教室の、あの窓の外だ。
Photograph by © 2026 Kazutoshi YAMAGUCHI. All rights reserved.
(第1章へ続く)