エッセイ

頬から腹毛がはえます

my face

 顔の半分が麻痺していると、もちろん口半分もきれいに麻痺しています。口が麻痺していると食事の時にどんなことになるのかというと、結構シュールで面白いことになります。麻痺している右の口から、雑炊のようなものをダラダラとこぼしながら、左から必死に雑穀米を食べているという、ちょっときちゃないフードプロセッサー芸のようになるのです。

 美味しいものが大好きで、お気に入りのお店がいくつもあるのですが、このままお店に行ってもおかしな雰囲気になってしまうので、こぼさずに食べられるようになるまでは外食はおあずけとなります。目標は、一番のお気に入りであるイタリアンのお店で、世界一番美味しいニョッキを年内にいただくことです。ニョッキとは、ミントグリーンの小さなイモ虫ではなく、ジャガイモと小麦粉をこねたものです。ゴルゴンゾーラチーズのソースが絶品で、そのソースをまとった、お湯で溶けてしまう一歩手前のぎりぎりの柔らかさを追求したニョッキ。ひとくち頬張るとソースのコクが口いっぱいにひろがります。ふわっとしてどこまでも柔らかいニョッキの素朴な味わいを残しつつ、天使の羽根が喉を柔らかくなでていくような優しいのどごしを堪能することができます。病院のベッドで何が原料か分からない流動食を鼻の管からとりながら、このニョッキを目標にがんばってきたのです。もう少しの辛抱です。

 そういえば、口の麻痺で昨日おもしろいことがありました。手術後の痛み対策として1回に2錠の痛み止めを飲んでいるのですが、この薬が1錠100円以上もする高価な薬なのです。当然、貧乏性の私は一錠6円の便秘の薬よりも大切に大切に飲んでいます。昨日もいつもと同じように口の左半分を使って飲んだはずなのですが、なぜか薬を口の中で見失ってしまったのです。もしかしてと服を脱いでポケットの中までくまなく探しました。音はしなかったけれど床に落ちているかも知れないと、床に這いつくばり、目を皿にして探しました。でもどうしても見つけることができませんでした。縁がなかったのだろうとあきらめ、薬の服用を一回飛ばすことにしました。貧乏性なので。

 あきらめが付いたところで、なぜか万葉集が読みたくなり、頬をさすりながら読んでいると、ヒゲにしては柔らかいモノが頬から生えていました。お腹を移植した部分から毛が生えていたのです。顔から腹毛なんて、そんなけったいな毛はすぐに剃らなければならないと鏡を覗いた時でした。なんと右唇のはしっこに高価な錠剤が2つ、かろうじてひっかかっていたのです。ちょっと柔らかくなった痛み止めを、そのままそっと口の奥に指で押し込み、水で喉に流し込みました。昨日一番の幸せなできごとでした。

   世の中は常かくのみと、別れぬる君にや、もとな、我が恋ひ行かむ

   世の中は、始終こうしたものに過ぎない、と思うて死に別れた君に、心もとなくも、私は焦れながら、行かねばならぬか。さりとては、なごり惜しい。
   (巻第十五3690)『口訳万葉集(下)折口信夫・岩波現代文庫』

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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