エッセイ

入院生活の私的心得

柔らかくてかわいいもの

 同じ状況の患者さんが二人いて、同じ治療を受けていたとしても、入院中の過ごし方ひとつで回復のスピードは多きく変わるようです。

 逆に絶対にやってはいけないことは、女性ナースへのセクハラやパワハラ。ついこの間まで虫の息だったおっさんがちょっと回復したのをいいことにナースにちょっかいを出すという極めて下品なシーンを見ることがありました。これは回復するどころか地獄に真っ逆さまに墜ちます。

 ナース、ナースを補佐する人たち、部屋の掃除をしてくださる人たち、シーツ交換をしてくださる人たち、自分の入院を支えてくださる人たちには最大限の敬意を払うべきです。

 多くの入院患者に接してきた彼らの信頼を得ることができると、思わぬ入院生活の裏技を教えてもらうことがあります。

 「放射線治療に行くときは、1階まで行かず、3階で降りて地下へのエレベーターに乗り換えた方が早い」とか、「せっかく窓際のベッドなら窓側にテーブルを寄せてそこで本を読んだり、パソコンをする方が気分転換なる」とか。その他、洗濯機の使い方などなど。入院というと治療にばかり目が行きがちですが、実はそれ以外の日常の過ごし方をどうするかが大部分を占めています。何から何まで奥様がお世話していたであろう人たちは急に日常生活を自分で過ごさないといけなくなり、何をしていいか分からず、ベッドから抜け出すことなく、カメのように目だけ光らせてじっとされている方が多い印象です。

 ともあれ、ちょっとしたアドバイスが入院生活を大きく変えてくれるのです。特にがんなんて患っていると、ちょっとした居心地の良さが、入院生活の質を上げてくれることが結構あります。

 ナースコールを何度押しても来てくれない。こちらを見もしないでただひたすらパソコンに体温、血圧、血中酸素濃度を入力し、体の痛みや変化を訴えても「それは○○先生にお話しください」と流すナース。

 こんな時はもちろんカチンときます。でもそこはぐっとこらえましょう。正論を言うことは簡単です。でも、毎日続く大変な業務の中で患者とどのような距離感を持つべきか、悩んだ末のその態度なのです。きっとそうでしょう…。そこでお小言を言ったっていいことなんて一つもありません。これは私自身にも言い聞かせています。今朝もそういうことがあったので……。そんな時私は、私を待ってくれている優しい人の豪快な屁を思い出し、不愉快な気分を吹き飛ばしてもらいます。

 

 入院のしおりには書いてありませんが、肌触りがよくて、抱き心地がよいクッションを一つ二つベッドに置くことをおすすめします。

 これは、介護施設に勤めている友人のプレゼントであり、教えてくれた入院テクニックです。50にさしかかろうかというおじさんのベッドに可愛いクッションが並んでいるのはいかにも不自然ではありますが、これは治験を始めてもいいくらいの効果があります。

 このクッションには本当に救われています。

 顔を埋めたり、胸に抱きしめたりすると苦しみや痛みからしばし解放されます。苦しさが一瞬すっと遠のいていくのです。とくに入眠効果は大きく、退院した後も手放せなくなります。

 手術後の浸出液や痰、出血がある時は手で触れるだけもいいと思います。ひそかに名前を付けてもいいかもしれません。思いを遂げられなかった人の名前…、余計につらくなってしまうかも。名前は付けなくてもよさそうです。

 入院のしおりに準備するものとして、肌触りが良く、可愛いクッションとはっきり書いてあれば、どんな荒くれたおじさんでも持ってきやすくなるのではないでしょうか。

 あとは、自分にひとつ何かを課すことです。安静にするために入院しているのに、それでは本末転倒ではないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、何かひとつでもいいのです。日に一句、川柳を吐く。一行日記をつける。決まった仕事を自分に課すと、一日の充実度がぐっと増します。廊下を歩く方もいらっしゃいます。

 可能であれば入院着から着替えて。点滴が繋がっていればズボンだけでもいいんです。抗がん剤の副作用で辛いときは、頭の中だけでもいいと思います。治療以外の動作行為は必ず心や体の栄養になります。ぜひお試しください。

 なんだかだらだらと書いてしまいましたが、これから入院生活を送る方、いままさに入院していらっしゃる方の不安を少しでも減らせればと願っています。特にいまは面会もままならないコロナ禍、自分の気の持ちようがとても大切です。

それパソコン
わたしはここです
看護師さん

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山口 和敏

熊本を中心にテレビディレクターとして30有余年。哲学を専攻。今も「人間とは…」「生命とは…」といった空恐ろしいことを問い続けながら、幅広いジャンルの番組制作に携わっています。 およそ2年前、「上顎洞がん」というけったいな希少がんに罹患し、余命6か月の宣告を受ける。 抗がん剤治療や放射線治療、12時間に及ぶ手術といったほぼフルコースのがん治療で右目を失うという過酷な闘病の中、脳のわずかな場所が生み出す絶望や苦悩にも関わらず、70兆個にもおよぶ肉体が持つ、生命の尊さと力強さをひしひしと深く感じることができた。これらの経験がいまの私の制作における大きな動機となっています。

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