命の物語が交錯する車両の中で

市電に乗って、ふと思った。この日、この時間、この電車に乗り合わせたこと自体が奇跡だ。

がんが見つかり、自分の命が尽きるかもしれないと考えた瞬間、まず驚いたのは、過去から連綿と受け継がれてきた命の尊さだった。そして次に驚いたのが、「出会い」だ。

何百、何千年とさかのぼってみる。もし自分のご先祖が、大量のドングリを持って求愛に訪れた集落の首長の甥っ子ではなく、片道2、3日の海岸まで行き、貝を採ってきた耳飾りが似合う隣集落のたくましい若者を選んでいなかったら——今の自分は存在しない。そう考えると、この出会いを奇跡と言わずになんと言うのだろう。

ご先祖様たちは、まさか、自分の子孫がけったいな病気になり、顔半分を失うなんて、彼らは夢にも思わなかっただろう。

そんな命の壮大なドラマが、この電車に乗っている人の数だけある。そして、その物語の最先端にいるのが自分だと気づくと、スケールが大きすぎて思考が止まってしまいそうになる。

今を生きている。それだけで、丸儲けだ。満たされているはずなのに、自分の欲はどこまでも際限なく広がっていく。

終いには「中の上で暮らしたい、人より豊かになりたい」と思い始める。いったん欲望に火がつくと、すべてを燃やし尽くすまで延焼は止まらない。

電車には、スマホでゲームに興じている人、参考書を広げて熱心に勉強している人、LINEの画面を開き、震える指で必死にメッセージを打っている人がいる。それぞれの「今」を生きているのだ。

人の数だけ、太古から編み続けられてきた物語がある。そう考えると、同じ電車に乗り合わせた人々がたまらなく愛しくなる。

そんなことを思いながら、家路についた。

そして、この日のメインイベントでもある、大好きなモンブランケーキを冷蔵庫から取り出し、皿にのせる。

しかし、目の前のモンブランは無残にもえぐり取られていた。3分の1が大きくかじられた跡があり、一目で「直接かじった」とわかる。

後で連れに聞いたところ、「美味しそうだったから、一口だけ」と笑いながら言われた。

「どれだけ大きな一口なんだ」と思う。

僕は、自分の身体の一部をかじり取られたような胸の痛みを感じながらも、この出来事も大きな物語の一部であり、これがあったからこその未来がやってくるのだと思うことにした。

僕が愛してやまないモンブランケーキは、えぐり取られたまま皿の上に残り、その張本人はソファーで信じられない角度に首を曲げ、軽くいびきをかきながら気持ちよさそうに眠っている。

つけっぱなしのテレビではドラマが流れていて、自分を捨てた不倫相手を社会的に抹殺しようとするヒロインが、凄まじい笑顔で微笑んでいた。