「目が覚めると、僕は虫になっていた。」
カフカの『変身』の冒頭のようだけれど、僕の場合はもう少し現実的で、目覚めたら動けなくなっていたという、最近のお話だ。
少しでも動こうとすると左足の付け根に激痛が走り、起きることはもちろん、寝返りすることさえできない。まさに「動けない虫」状態である。
実はこれには心当たりがあって、それは前日の晩ご飯での出来事にさかのぼる。
忙しい日々の中で見つけた、食事の時間
最近ありがたいことに忙しい日々が続いている。僕は書斎に閉じこもり、連れは仕事部屋でもくもくと編集作業をしている。同じ家にいながら、会話をすることがめっきり減ってしまった。
ただ、その分、食事の時におしゃべりが盛り上がる。二人とも基本的におしゃべりが大好きなのだ。
「台湾では女性が男性のスマホをチェックするのは当たり前なのよ」
連れが編集しながら知った台湾人の恋愛事情を教えてくれる。ほとんどの人が彼氏のスマホのパスワードを知っていて、一日誰とどのようなメッセージのやり取りをしているか確認するという。
「確かに日本にもいるかもしれないけど、あんまり一般的ではないよね」
そのまま娘たちの話をしたり、とにかく、こんな風にずっとおしゃべりをしている。忙しい日々の中で、この何気ない時間がどれほど貴重かを、改めて実感する。
突然の挑発状——スポンジボブのシャッフルダンス
そんな他愛もない会話の中で、連れはおもむろにスマホを取り出し、「シャッフルダンスのスポンジボブのやりかた」という、ダンス動画を見せてきた。
何かをたくらんでいるときの、口のはじっこでちょっと笑っているような、なんとなく小ばかにするような雰囲気で、こう挑発してきたのだ。
「これ簡単そうだけど、できんど?」
(できないよね?というニュアンスを込めて)
僕は悔しくて、そのダンスに全力で挑んだ。
男のプライドと汗と涙
すぐに心拍数と体温が上がり、汗がにじむ。そして口の中はからからになり、咽からひゅるひゅると空気がもれるような不思議な音までしている。
連れはお腹を抱えて涙を流しながら笑っている。
けんけんをするようなステップが基本なのだそうだが、これがやってみるとなかなかに難しい。スポンジボブは簡単そうにやっているのに、なぜこんなに難しいのか。
僕は笑われて、結局できないのは癪だったのだが、できないものはできない。
「きょうはもう遅いから明日またしましょう」
敗北宣言はせずにお茶を濁した。男のプライドとは、時にこんなささいなことで傷つくものである。
翌朝の現実
それで、翌朝動けなくなっていたというわけだ。
カフカの虫のように、ベッドの上で手足をばたつかせながら、僕は昨夜の自分の無謀さを呪った。何事も甘く見ると痛い目にあう。これは人生の教訓だ。
でも、不思議なことに、後悔はしていない。
人と人の絆が見え隠れする瞬間
あの晩ご飯で、連れの屈託のない笑顔を見ることができた。忙しい日々の中で、二人で馬鹿なことをして、心の底から笑い合えた。
がんになってから、こういう何気ない瞬間がどれほど貴重かを知った。笑い合えること、一緒に時間を過ごせること、そして相手の笑顔を見ることができること。
左足の付け根の痛みは、そんな幸せな時間の代償だと思えば、案外悪くない。
今度こそは
しっかりできるようになったら、YouTubeでもこの話題を取り上げてみようかな。
ただし、今度は事前にストレッチをして、準備運動をしてから挑戦することにする。
何事も甘く見ると痛い目にあう。これは本当だ。
でも、愛する人の笑顔のためなら、また痛い目にあってもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、僕は今日もベッドの上で、スポンジボブのダンス動画を見返している。
次こそは、必ず。