エッセイ

「その顔で取材するの?」と言われた日 ——堂々と生きるということ

経営者仲間とビジネスについて語り合う機会がある。
この日は、歯に衣着せぬ物言いと、ちょっぴりシャイな笑顔が魅力の男性経営者との会話で感じたことだ。

この経営者と直接向き合って話すのは初めてで、ビジネスのことはもちろん、病気のこと、プライベートなことまで話が弾んだ。

僕がいまも地元テレビ局の番組を制作していると伝えると、彼は驚いた顔でこう言った。

「その顔でロケに行くの? 相手が怖がらない?」

僕は笑い転げた。でも、たしかにそうなのだ。右目を失い、黒い革の眼帯をしているこの顔で、取材に行く。

けれど、うまくいくコツがひとつだけある。

それは、堂々としていること。

「ウソだろ〜」と彼は笑ったが、本当なのだ。

世の中のディレクターはこれが当たり前だと心から思っていれば、取材相手も一瞬驚くだけで、すぐに自然に接してくれる。

「実はね」と僕は話す。
「病気で右目を失って、光を遮るために眼帯をしてるんです。でもせっかくならおしゃれな眼帯をしたくて、世界中探してベラルーシの革職人に作ってもらってるんです」

ここまで話すと、相手の表情がぐっと柔らかくなる。

ある意味、“黒革の眼帯”というのは、僕にとってのファッションアイコンだ。
だからこそ、少し大胆にこう思うことがある。

これって、乳首のところだけ穴が空いてるシャツを着たおじさんが、「これが俺の普通だけど、なにか?」って堂々としてるのと同じだよな、と。

もちろん僕はそんな服は着ない。
でも、仮にそんな人が目の前にいて、胸を張っていれば、見ているほうも「あ、そういうもんか」と思ってしまうのが人間というものだ。

“違和感”は、“堂々さ”の前に形を変える。
それは不思議な力だ。

だからこそ、誰かが自分を受け入れてくれるというのは、「外見」や「病気」といった表面の話ではなく、「その人の在り方」そのものが鍵なのだと思う。


そして本当に嬉しかったのは、彼が真正面から「その顔で?」と聞いてくれたこと。

病気や障がいを抱えた人に対して、言葉を選びすぎるあまり、本音に踏み込めない——そんな気遣いは優しさにもなるが、時に相手を孤独にする。

人の幸福は、名誉でもお金でもなく、「人との絆」。

これは、ハーバード大学が75年以上にわたり続けてきた研究でも明らかにされていることだ。

僕が目指しているのは、患者と医療、健康な人と病を抱える人が、もっと自然に信頼関係を築ける社会だ。
言葉のキャッチボールから、絆を育てていくコミュニケーション。
それは、僕の過去と、今の生き方のすべてをかけて、広めていきたい“希望のかけ橋”でもある。

だから、これからは自分のブランディングにも挑戦していかなければならない。

もしかしたらいつか、本当に、乳首だけが見えるシャツを着なきゃいけない日が来るのかもしれない。

……いや、やっぱり着ないけど!

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山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクターやライターとして30年以上活動してきました。 報道からバラエティ、ドキュメンタリーまで幅広い番組を手がけてきたのですが、2019年に「上顎洞がん」という聞きなれない希少がんにかかり、余命6か月を宣告されました。 その後、抗がん剤、放射線、そして14時間におよぶ手術で右目を失いながらも、「どうせなら、この経験も楽しんでしまおう」と開き直り、今こうしてブログを書いたり、YouTubeで思いを発信したりしています。 今は、ビジネスコンテンツライターやスピーチコンサルとしても活動しつつ、がん患者の「仕事と治療の両立」や「前向きな生き方」に役立つ発信をつづけています。 最近は写真にも夢中です。片目になってから、かえって世界の“本当の表情”が見えるようになった気がしています。Leica片手に、光と影の中に生きる力を探す毎日です。 この先は、クラウドファンディングで出版にも挑戦する予定です。 病気になっても、失っても、人生は終わらない。 そんな希望を、少しでも誰かに届けられたらと思っています。

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