我が家には二種類の歯磨き粉がある。
ひとつは、某有名ブランドのホワイトニング効果があるという高級歯磨き粉。
もうひとつは、ドラッグストアで「本日限り!」と赤札付きで山積みにされる庶民派歯磨き粉だ。
もちろん、どちらを使うかは「立場」で決まる。
歯の白さに命をかけるうちの連れは、当然ながら高級路線。
一方、歯の本数がそもそも少ない僕は、必要量も少ないし、まぁ…そっち(庶民派)でいいか、となる。
だって僕は、過去の手術で上あごの右半分がごっそりなくなり、放射線治療の影響で歯も折れやすい。歯磨きというより「歯のメンテナンス」レベルの作業だ。
本数で言えば、かつての自分の半分以下。それはもう…いろいろ割愛していい身分。

そんな僕にも、一度だけ“白く輝く未来”を夢見たことがある。
うっかり、高級歯磨き粉を使おうとした時、連れの冷静な声が飛んできた。
「かずちゃんは歯を白くせんでもよかろ。こっちをつかいなっせ。」
僕は思わず「ごもっともです」と敬礼しそうになりながら、庶民派歯磨き粉に戻った。
以来、その高級歯磨き粉に触れるのは、ケンカした夜に“これでもか!”と反抗心を歯ブラシにぶつけるときだけだ。
さて今朝、その庶民派歯磨き粉がとうとう底を尽いた。
昨夜、チューブの尻を逆立ちさせ、ありったけの気合で絞り出したのだが、もう出ない。まるで人生の終わりのような静寂がそこにはあった。
「もうなくなっちゃった…」
聞こえるか聞こえないか、まるで風に語りかけるように僕はつぶやいた。
すると、背後から天の声が。
「高い方を使っていいよ!」
神かと思った。いや、連れだった。
一瞬、涙腺が緩みそうになったが、僕は謙虚さだけは忘れなかった。
「えー、もったいないよ」
すると、連れは満面の笑みでこう言った。
「かずちゃん、歯が少ないからちょっとですむでしょ。いいよ。」
優しさって、時に鋭利なツッコミと紙一重だと思う。
僕はその瞬間、笑いすぎて立っていられなくなった。
「優しさとは、歯の本数に応じて配分されるものである」
そんな新しい法則を見つけた朝だった。