エッセイ

「今」しかない世界で、何を急ぐのか

東京での仕事が始まり、月に一度ほど通うようになった。来るたびに思うのは、「都会には急いでいる人が多いな」ということだ。

写真に写るスーツ姿の彼も、きっとどこかへ急いでいるのだろう。会議に遅れそうなのか、それとも締め切りに追われているのか。横を通り過ぎる作業着の男性は、まるで別の時間軸で生きているように見える。都会には、こんなふうに違うリズムの時間が交差する瞬間が、無数にある。

でも、なぜ僕らはこんなに急ぐのだろう?

約束の時間、締め切り、スケジュール。社会全体が「時間」によって動いているから、僕らもその歯車の一部として、走り続ける。便利なはずの時間が、いつの間にか「縛り」になっているのかもしれない。

時間を信じない生き方

実は僕、がんを経験してから、あまり時間の存在を信用しなくなったんだよね。

だって、どんなに計画を立てても、「今」しか存在しないのだとしたら、未来なんてそもそも幻想じゃないか。起きてもいないものを心配して、今を犠牲にするなんて、なんだか馬鹿らしいと思えてくる。

病院で「余命宣告」を受けたとき、最初はもちろんショックだった。でも、よくよく考えたら、誰にとっても「今」しかないのだとしたら、明日生きているかどうかなんて、そもそも意味を持たない。

存在しない未来に振り回されるより、「今、この瞬間をどう生きるか」だけを考えた方が、よっぽどリアルじゃないか。

…とはいえ納期は守る

そんな哲学的なことを考えながら、ふと我に返る。

「そういえば、明日までのプレゼン原稿、まだ書いてないな……」

未来は存在しない。だから、明日という概念もない。つまり、納期の存在も……なんて言ったら、クライアントに怒られる。

うん、プロとしてそれはダメだな。明日までに仕上げます。頑張るよ、俺。

でもせめて、コーヒー一杯飲む時間くらいは、急がずに味わいたい。

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山口 和敏

熊本を拠点に、テレビディレクターやライターとして30年以上活動してきました。 報道からバラエティ、ドキュメンタリーまで幅広い番組を手がけてきたのですが、2019年に「上顎洞がん」という聞きなれない希少がんにかかり、余命6か月を宣告されました。 その後、抗がん剤、放射線、そして14時間におよぶ手術で右目を失いながらも、「どうせなら、この経験も楽しんでしまおう」と開き直り、今こうしてブログを書いたり、YouTubeで思いを発信したりしています。 今は、ビジネスコンテンツライターやスピーチコンサルとしても活動しつつ、がん患者の「仕事と治療の両立」や「前向きな生き方」に役立つ発信をつづけています。 最近は写真にも夢中です。片目になってから、かえって世界の“本当の表情”が見えるようになった気がしています。Leica片手に、光と影の中に生きる力を探す毎日です。 この先は、クラウドファンディングで出版にも挑戦する予定です。 病気になっても、失っても、人生は終わらない。 そんな希望を、少しでも誰かに届けられたらと思っています。

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